スプートニク日本
「バラノフ」ブランドの歴史はロシア革命前にさかのぼる。キリルさんの曽祖父、ニコライ・バラノフさんは1882年サンクトペテルブルグで生まれた。ニコライさんは子どもの頃からチョコレートが大好きで、1907年に自身のチョコレート工場を設立。ロシアのプレミアムチョコレートの先駆けの一人となった。
しかし第一次世界大戦、ロシア革命と歴史的事変が続き、ソビエト連邦が成立。国内のあらゆる産業が国有化され、カカオの輸入は国の専売特許になり、私企業としてやっていけるチョコレート工場はなくなった。ニコライさんの工場は軍用に必要だからと取り上げられてしまい、「バラノフ」はいったん、その歴史の幕を閉じたかに見えた。
しかし幸いなことにバラノフ家には、ニコライさんが残してくれたレシピとお菓子作りへの情熱が代々伝わっていた。キリルさんは物心ついたときから父にお菓子作りを教わっており、わずか5歳にして「カルトーシカ」(ロシアで定番の俵型チョコレートケーキ)を作れるようになった。日進月歩の製菓業界で様々な方法で修行しながらも、キリルさんは「家庭で教わったことが私の基礎だった」と振り返る。バラノフ一家は店の再建を望んできたが、長い間、ソ連という時代の状況がそれを許さなかった。そしてようやく百年経って、ひ孫のキリルさんが「バラノフ」復活の夢を日本で叶えたのである。
キリルさんは多彩な才能の持ち主だ。米国・ロシア・日本など世界中の様々な大学で学び、ロシアや日本の貿易会社で勤務した後、資金を貯めて店をオープンした。製菓技術はもちろん、日本語と日本研究もキリルさんの専門分野のひとつだ。あえてスイーツの街である神戸に店を構えた理由について、キリルさんは「私は神戸が大好きですし、ここは港町で外国人も多く、美味しい洋菓子が作られています。競争が激しいということは、私にとって前進のための原動力でもあるのです」と話す。
ショコラティエ・バラノフには、選ぶ楽しみがある。大人のためのトリュフチョコのラインナップが豊富で、男性にはラム酒やバーボンウイスキー、女性には梅酒や日本酒が好評だという。ハート型が可愛いフランボワーズやピスタチオのプラリネもギフト用に人気だ。キリルさんはいつも店に立ち、お客さんと会話する中で好みを探り、30種類以上の中からそれぞれに合った味を提案している。今の季節にはショコラを使ったフローズンドリンクもよく売れている。
バラノフでは7月から、チョコレートを楽しむだけではなく、ロシア文化に触れることができるロシアン・パーティー「バラノフBAR」を始めた。キリルさんは「ロシアのお酒、料理、音楽を含めた文化を知ってもらえたら嬉しいです。皆さん、ロシア料理とはどういうものか興味をもってくれていますから、ぜひ驚いてもらいたいですね。私自身楽しんでやっていますし、これから月に1回はパーティーを開きたいです」と話す。
これまでのバラノフBARではロシアのウォッカやワインに加え、ロシア風餃子の「ぺリメニ」、健康野菜ビーツを使ったサラダ「ヴィネグレード」、ロシア版ポテトサラダ「オリビエ」、ロシアンパンケーキ「スィルニキ」などをふるまってきた。メニューは全てキリルさんが考案。ショコラティエだけあって、肉入りだけでなくチョコ入りペリメニも用意した。スィルニキを作るには、日本では手に入らない「トヴォーロク」(カッテージチーズに似た乳製品)が必要なので、キリルさん自らトヴォーロクを手作りした。キリルさんの工夫がこらされたメニューは「他では食べられない」と大好評だ。ロシア料理店とは違う本物のロシア料理を試したい人は、ぜひ今後のパーティー開催日をチェックしてほしい。
ロシアブランドのチョコレートといえばモロゾフやゴンチャロフが全国的に有名だが、バラノフではひとつひとつのチョコを手作りしているため、量産ができない。常設店舗は今のところ神戸・元町の一店舗のみだ。イベントシーズンには百貨店からの出店依頼で引っ張りだこだが、作れる量に限界があるため、悩むところだという。キリルさんは「まだ先のことを考えるのは早いですが、まずはバラノフについて少しずつ関西圏で知ってもらい、そしてゆくゆくは日本中でもっと知ってもらえたら」と話している。