最も恐ろしい飛行機の衝突事故は1977年にテネリフェ・ノルテ空港で起こった。オランダと米国の2機のボーイング747型機同士が滑走路で衝突。悪天候のために、航空管制官と2機のボーイングのパイロットとの無線通信には雑音が多く、視界も殆どゼロだった。2機のボーイングは同じ滑走路を互いの方向に向かって走ったので、衝突を避けることが出来なかった。乗客乗員のうち合わせて583人が死亡、生存者は乗客54人と乗員7人だけだった。
海上油田における史上最悪の事故は、1988年に米国のオクシデンタル・ペトロリウムによって操業されていた北海の石油生産プラットフォームで起こった。職員の誤動作のせいで石油生産プラットフォームのパイプとタンクにある天然ガスと石油の爆発が起き、火災が発生。167人が死亡した。生き残った59人は海に飛び下りて助かった。
海上で起こった一番恐ろしいカタストロフィーは、実はタイタニック号沈没事故ではない。それは1945年の冬にバルト海で起こった。その時ソビエトの潜水艦はナチスドイツのヴィルヘルム・グストロフ 客船を撃沈。ヴィルヘルム・グストロフ 客船にはナチスドイツの海軍エリートが9千人以上乗っていた。多くの海軍将校は家族と一緒だった。9か所あった甲板は当時の先端技術によって作られており、ヴィルヘルム・グストロフ号は不沈の大洋航路船のはずだったが、ソビエト潜水艦C-13号が3発の魚雷を発射した後、その技術の奇跡は5分以内に海の藻屑となった。
多くの科学者の意見では、一番恐ろしい生態学的災害は塩湖「アラル海」の行く末である。アラル海は、浅くなる前はとても大きく、大きさではカスピ海、五大湖、ヴィクトリア湖に次ぎ世界4位だったが、人間の不合理な経済活動のせいでアラル海の水は涸れ、魚と海洋動物の多くの種が消えてしまった。周辺地区(カザフスタン・ウズベキスタン)の気候も変わり、干害が問題になった。
世界最大の原子力発電所事故は1986年4月ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉で発生した。空気に放出された放射性物質は風によって数百キロメートルにわたって吹き散らされ、放射性降下物がウクライナだけでなく、ベラルーシやロシアなどを汚染した。ソ連中から作業員がチェルノブイリに原発事故の後処理をしにやってきたので、死亡したり障害を負ったりした人も多かった。チェルノブイリ原発から30キロ以内は立ち入り禁止になっている。長い半減期を有する重金属の放射性同位体が、このように大規模な面積を汚染したことが、人々の健康・環境にどんな影響を与えるか最終的にはわかっていない。
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