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ヘフナー氏は1953年、自らの貯金600ドルと1万ドルの資金を投じて「プレイボーイ」誌を発刊し、70年代にはヘフナー氏の娯楽帝国はそのピークを迎えた。当時ヘフナー氏はテレビ番組やジャズフェスティバル、ウサギの耳としっぽの飾りをつけた衣装のウェイトレスのクラブのネットワークも手掛けた。
ヘフナー氏は1926年、会計士の父とプロテスタント系教師の母との間に生まれた。本人の回想によれば、両親は「全く感情を爆発させることのない良い人たち」だった。自宅では抱擁やキスを交わすことが禁止されていたという。1944年、ヘフナー氏は中学校を卒業し、特派員として軍務につく。この経験が、後に雑誌「Esquire」で働いている際、自ら雑誌を発刊することを思いついたヘフナー氏の役に立つことになる。発刊号は1953年12月、マリリン・モンローを表紙に迎え発売された。