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スイス出身の歴史家で人工遺物の解読に携わるエーベルハルト・ツァンガー氏が語るところ、テキストが書かれた粘土板は巨大な円柱の一部で、トルコのキリスト教徒により1878年に発見された。しかし、粘土板は破壊され、今日まで残ったのは元のテキストの僅かなコピーだけだった。
学会で広く知られているにも関わらず、文章は非常に珍しく、ほとんど研究が進んでいないルビア語で書かれているため解読は難航した。
Luwian Hieroglyphic Inscription Explains the End of the Bronze Agehttps://t.co/wjNXbgfCGF pic.twitter.com/YbWsaNltVV
— Luwian Studies (@LuwianStudies) 7 октября 2017 г.
そこには、ヒッタイト帝国の民族の一部について物語られていた。ヒッタイト帝国は青銅器時代の「超大国」の1つで、紀元前16世紀から11世紀にかけて紀元前現在のトルコ南部、メソポタミア北部に存在していた。
ツァンガー氏によると、写本は現在のトルコ西部に位置し、トルコ南部を巡ってヒッタイト帝国と争ったミラという名の王国の台東について論じている。
また、伝説的な都市トロイについての言及もある。
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