ライカ 生還のチャンスがなかった宇宙の英雄【写真・動画】

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60年前の1957年11月3日、宇宙へと初の地球上の生物、犬のライカが送られた。雑種犬の小さなライカが最初の宇宙実験のためソ連の学者に選ばれた理由を、当時ライカの訓練を担当していた生物医学問題研究所の所長、アディリア・コトフスカヤ医学博士が語った。

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犬が選ばれたのは調教が容易で、人工衛星の狭いカプセルでも落ち着いて行動できるため。技術的に、宇宙船に乗せられる動物は重さ6〜7キロで体高35センチとの制限があった。また、血統書付きの犬は軟弱だとの考えから、小さな野良犬の捜索が始まった。

Russia's Yuri Gagarin, Time Magazine, April 21, 1961 - Sputnik 日本
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候補として選ばれた10匹の犬から減圧室やセントリフュージ(遠心加速器)、振動板の訓練の後、3匹が残った。アルビナ、ライカ、ムハの内、アルビナは妊娠しており、ムハは写真うつりの良くない歪んだ脚のため候補から弾かれた。死して歴史に名を残す運命はライカに下った。

ライカは落ち着いた犬で、ストレス耐性が高かった。最終段階の数日はバイコヌール宇宙基地で、環境に慣らすため毎日数時間カプセルに入れられた。外科手術によりライカには肋骨に呼吸センサーが、頸動脈近くに脈拍センサーが埋め込まれた。また、温度や血圧を測り心電図を撮れる機器へと管が繋がれた。

コトフスカヤ氏は「私にとって重要だったことは、人類の将来の飛行のため、全てを予期して備えることでした。実験の過程で犠牲が出る可能性は理解していました」と回想した上で「ですが、ライカを送り出す前には泣き出してしまいました。ライカが死ぬと皆は前もってわかっていたため、許しを請いました。当時はまだ、宇宙から戻れる技術ではなかったのです」と述べた。

​人工衛星「スプートニク2号」は地球への帰還を考慮していなかった。それは、高さ約4メートル、直径2メートルのシリンダー状の宇宙船だった。ライカは7日間稼働するよう設計された化学的に空気を浄化する機器と、1日2回ジェル状の栄養食の入ったコンテナの蓋を開ける自動えさやり器とともに小さなカプセルに入った。地球の軌道に到達した後は、ライカが座り、立ち、前後に少しでも動けるよう服に付けられたハーネスが自動的に緩められる設計だった。11月3日深夜、カプセルがロケットに搭載された。しばらくして観察を担当していた職員が、ライカの喉が乾いていることに気付いた。餌には生存に十分な量の水分が含まれていたが、ロケットのハッチを開き、ライカに水を与えた。これは告別だった。

​スプートニク2号はモスクワ時間午前6時半、バイコヌール宇宙基地から発射。遠隔で得られたデータ(テレメトリデータ)は、ライカが打ち上げ時の過負荷を乗り切ったことを示したが、カプセルの温度が上昇し始め、40度を超えてしまい、およそ6時間後(地球4周時点)に心停止を記録した。亡くなったライカを載せた人工衛星は地球の周りを2370度周回した後、1958年4月14日、大気圏に再突入し燃え尽きた。

半世紀後の2008年4月11日、実験のための訓練や準備をしていたモスクワの軍事医学研究所の中庭にライカの慰霊碑が建てられた。その意匠は、指を伸ばした手のひらの形のミサイルに、上を向く銅像の犬が乗っているもの。

​逝去にも関わらずライカは、宇宙空間で少なくとも数時間は生存が可能だと証明した。この情報は続く研究と発射を強く後押しし、有人飛行への土台を用意した。

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