ロシアバンド「ムミー・トローリ」、初の東京単独ライブ なぜライブが重要なのか?【写真・動画】

© V. Martynenkoグループのリーダー、イリヤ・ラグチェンコさん
グループのリーダー、イリヤ・ラグチェンコさん - Sputnik 日本
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11月30日、渋谷クラブクアトロでロシアの人気ポップロックバンド「ムミー・トローリ」が初のワンマンライブを行った。この出来事はファンにとっての喜びであるだけでなく、日本におけるロシア文化の新たなイメージ形成への重要な一歩でもあるのだ。公演前日、グループのリーダー、イリヤ・ラグチェンコさんがスプートニクのインタビューに応じ、ラグチェンコさんがYOSHIKIを好きな理由、東京に来た友達を連れて行く場所、現代の音楽が政治よりも効果的である理由などを語った。

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夢に向かって前進!

長年に渡りロシアで非常に愛されているグループ「ムミー・トローリ」は数年に渡り、夢である東京でのワンマンライブ実現に向けて一歩一歩進んだ。ついに夢は叶い、フェスティバル「ファー・フロム・モスクワ」でロシアのDJ「DJ Lipelis」や「DJ DZA」、グループ「Kito Jempere」らと共に出演が決まった。

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グループのリーダー、イリヤ・ラグチェンコさん

スプートニク:フェスティバル「ファー・フロム・モスクワ」参加を決めた理由は?

ラグチェンコさん:最新の若いロシア語音楽を全世界のオーディエンスに紹介するため実現に協力しました。これは時間とともに、音楽だけでなく映画や食事、スポーツにとっての場所もあるフェスティバル運動に育ちました。ぼくの計画ではロシアのサーファーのショーケース(発表会)です。現代のロシア人について世界で全く知られていないのは単に、私たちが自らの要塞から出ていくのを面倒臭がるからだと思います。これは間違っていると感じ、中庭のベンチでゴシップ話に花を咲かせるのではなく、完全な権利を持つ地球の一員になる関心を持つ賛同者を探そうと試みているのです。

ロシア音楽について:

2013年、ラグチェンコさんは故郷ウラジオストクで、まだ有名ではない若いロシアのアーティストが有名なアーティストと同じステージで出演できるような音楽フェスティバルを作ろうと決意。こうしてフェスティバル「V-Rox」が生まれ、すでに5年、日本を含む全世界から音楽グループが訪れている。

スプートニク:長年に渡り、あなたはロシアのオーディエンスに日本のミュージシャンを紹介してきました。日本ではロシアの音楽がよく知られているでしょうか?

ラグチェンコ:年配の日本人は意外かもしれませんが、ロシアの民謡をよく知っています。これは、第2次世界大戦後に捕虜となった多くの日本兵がソ連のラーゲリにいたことに関連しています。ですが、現代の音楽と30歳未満の世代については、特に話すことはありません。t.A.T.u.(タトゥー)のことも覚えていません。(笑)

ヴィジュアル系のファン

ラグチェンコさんは記者との会話である時、海外の音楽へ自由にアクセスできなかったソ連時代、密かにヒットパレードを放送する日本のラジオ電波をキャッチしていたと告白した。日本の80年代の曲はラグチェンコさんの音楽の趣味に影響。ラグチェンコさんはヴィジュアル系の大ファンなのだ。

スプートニク:中国や日本であなたにインスピレーションを与えるグループはいますか?

ラグチェンコさん:フェスティバル「V-ROX」に、私は「Love Psychedelico」や「Ego-Wrappin」といった本物の日本のスターを招待しました。今年は沖縄のバンド「Wa Rubbers 」が皆を魅了しました。ですが、私の本当の日本のソウルメイトはX JAPANの結成メンバー、YOSHIKI。ぼくらの音楽スタイルは大きく異なるけれど、いわゆる「大きな絵」のヴィジョンは珍しいほど似ているのです。彼には本物の侍の魂が生きています。それとともに才能と、僕にはいつも足りない勤勉さも。(笑)

日本料理と中国について

1998年、若きグループ「ムミー・トローリ」は初の海外公演に向かった。コンサートは北海道・函館市で行われた。それ以来、ラグチェンコさんは定期的に日本を訪れ、この数年は自らの子どもたちも連れてきている。こうした関心の理由は、ラグチェンコさんが東洋学者としての教育を受けたからなのか?

スプートニク:日本で多くの時間を過ごし、日本のアーティストと頻繁に交流しています。この国はあなたにとって非常に親しいように感じられます。なぜ日本ではなく、中国を専門としたのでしょうか?

ラグチェンコさん:実は、中国語はぼくの最初の外国語で、7歳の時に学校で習い始めたんです。大学に入り、中国語を放棄しないよう勧められました。当時は80年代で、中国が世界に門戸を開いたころでした。後悔はしておらず、自身の経験で「中国の竜」の復活を目にすることができました。一方で何年も後に、日本文化、特にその「現代の潮流」は疲れを知らずぼくの興味をそそり、インスピレーションの源であり続けていることを理解しました。

スプートニク:東京でお気に入りの場所とお気に入りの日本食を教えてください。

ラグチェンコさん:東京で美味しい食事に困ることはありません。僕は普通、友達に恵比寿駅近くのレストラン「L.A. 新撰組」の洗練された料理や麻布の「かねいし」の鉄板料理、寿司勇の寿司を試させます。現地の料理は時に、スタンダードなツアーや名所よりも迅速にその国について語り得ると思います。また、日本のバンドのロックコンサートを訪れる価値もありますね。

日本で日本語で歌おう

スプートニク:日本にいるあなたのファンについて教えてください。ロシア人はやはり日本人より多いですか?私が理解しているところ、日本のオーディエンスのための特別プログラムはないようですが?

ラグチェンコさん:日本は(ニューヨークの)ブライトン・ビーチではありません。そこに住むロシア人は非常に少ない。ナイジェリア人より少ないのではないでしょうか。そのため、無数の同国人に期待する必要はありません。ですが、ムミー・トローリが出演する国ではどこでも、オーディエンスの大部分にとって理解できる言語で何かを演奏するよう心がけています。「ファー・フロム・モスクワ」の一環で、ぼくたちは東京・渋谷で11月30日、初のワンマンライブを行います。プログラムには「Morskaya」(海の)CDの歌が入っており、多くの歌は日本語で歌われます。その1つは『女の子』(Девочка)です。オリジナルのメロディにすぐに「はまった」歌詞の翻訳は、私たちのために函館大学の生徒が作ってくれたものです。私が日本語で歌うのも悪くないという評判です。

「文化外交」は政治より効果的

スプートニク:文化は政治に左右されると考えますか?フェスティバル「ロシアの季節」は日本人のロシア理解に影響しましたか?

ラグチェンコさん:「文化外交」は相互理解の達成において政治的スローガンより格段に効果的な手段だと確信しています。ロシア文科省がこのプロジェクトで古典的なロシア芸術だけでなく、現代の文化的潮流も日本に紹介し始めたことは重要です。とはいえ、伝統的に世界で愛されているロシアのバレエやクラシック音楽の重要性に異議を唱える気は毛頭ありませんが。ですが、独立した、現代の非商業的な、首都以外の芸術を他国で紹介する機会は世界の全体図の中で自身の場所を探すという見地から非常に重要です。

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