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書簡は、ホアキン・ミンゲス司祭が1777年に書いたものだ。
書簡には像を作った彫刻家のマヌエル・ベールと、当時の生活の様子について描写されている。例えば、マラリアや腸チフスといった当時の流行り病、カードやボール遊びなど主な娯楽について書かれており、時代の全体像を与えてくれる。
研究者は次のような書簡の文面を明らかにした。
「裁判所はマドリードにある。ニュースには郵便と新聞がある。主の教会に対する罪を許さない審問が機能している。」
専門家によると、書簡が詳細に書かれていることは、司祭が子孫のために「タイムカプセル」を残すことを望んでいたことを示唆している。
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