スプートニク日本
この市民運動の意義は、先の第2次世界大戦でファシストから祖国を守ろうと抵抗し、戦場で銃後で戦った親戚、戦いで命を落とした兵士らの魂を悼み、彼らの働きを記憶することで二度と戦争は起こさないことを誓うというもの。参加者らは戦時中の親戚の写真を持ち寄り、それを竿の先につけて、行進に加わる。
今年、在日ロシア大使館では地元のロシア人の他に日本人も加わって「不滅の連隊」が行われたが、そのなかに見事なロシア語で戦時中のロシアの歌を歌う日本人らの姿があった。スプートニクの現地特派員はそんな日本人たちを取材した。
今年の東京での「不滅の連隊」はまず、行進の開始前にミニコンサートが行われ、有名な歌手のニキータ山下さんとロシア側からはアンドレイ・チェルカソフ氏が出演し、戦時中の歌を歌った。これに続いて子どもたちが戦争についての詩を読み、ダンスを踊った。
行進が終わると、野戦食がふるまわれ、大祖国戦争(ロシアにおける第2次世界大戦)の戦場で兵士に配られていたそば米の粥、ドライフルーツを煮出したコンポートの味を参加者らは味わった。
参加者らにとってサプライズとなったのは、日本人アンサンブルの出演だった。ソ連の軍服を着た日本人たちがアコーディオンの音色に合わせながら、戦時中の流行歌を次々にロシア語で披露した。 スプートニクの記者はグループのリーダーの古是 三春さんにインタビューを行った。
私はロシアの歌の愛好者の「パリャーノチカ」という集団のリーダーで古是 三春、ロシア名でフルンゼ・ミーシャといいます。私たちはいつも戦時中のロシアの歌を歌っているので、ロシア人の友人から参加してみたらと言われたので来てみました。皆さんに喜んでいただけて、とてもうれしいです。歌った歌は心の歌で日本でもよく知られています。有名なニキータ山下さんもこれを日本語で歌っておられますが、それを私たちも聞いて、ぜひ、響きの美しいロシア語で歌ってみたいと思い、こんなふうにすでに10年間活動しています。活動するきっかけとなったのは2008年にロシア大使館付属の学校で歌ったことでした。
ロシア語わかりますか?
ほとんどわかりません。30数年前に大学でやったのですが、使う機会がなかったので忘れてしまいました。当時はソ連時代で町にロシア人など歩いていませんでしたから。最近、ロシア人に会う機会ができ、挨拶はロシア語で「ズドラーストヴィーチェ」とか交わしますけど。
今日のイベントについてどう思いますか?
とてもいいことだと思います。私の父の世代は戦争に行き、苦しい思いをしています。また父の知り合いにもシベリアで働いて帰ってきた人がたくさんいます。そういう人達の苦労があって、今私たちは幸せでこうして仲良くできるんです。ロシアも苦しい戦いでたくさんの方が亡くなった。それを追悼するのはいいことだと思って、その気持ちが嬉しくて今日は来ました。これだけ多くの人がプラカードを持って追悼していることはいいことです。日本人もこういうことができたらなぁと思いました。
ロシアの軍服を着ておられますね。
こういう服にはふつう勲章が付いていますけど、私たちは偽物のロシアの軍人ですから勲章は外してきました。私たちは演奏の時にこうした服を着るのは、死んでいった人の気持ちになりたいからなんです。戦って死んでいった人たちは普通は市民だったけれども、戦争になって、家族から離れ、市民から軍人となって死んでいった。その気持ちを歌った歌が今日、ここで歌った歌だと思います。私たちはなるべくその気持ちに近づきたいと思い、こういうコスチュームを着ています。これは仲間がモスクワから手に入れてきたくれたものです。
ロシアの曲がこんなにも好きなのはどうしてですか?
ロシアの曲は日本人はみんな好きだと思いますよ。私の本職は軍事の歴史の研究です。米国の友人もそうですが、軍事研究家というのはソ連やロシアの軍事を研究すると、必ずその歌が好きになるものなんです。それは歌の中にその時の気持ち、兵隊の気持ちが込められているから、どうしても研究対象となる。そうするとその歌が好きになるんです。