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1914年、ゾルゲは志願して第一次世界大戦に参加し、勇敢な行為に対して鉄十字勲章を授与された。ゾルゲは1919年10月15日にドイツ共産党に入党、1924年にソ連を訪れ、赤軍の諜報部門のスパイとなる。
1931年に日本が中国へ侵入し、満州に傀儡国家「満州国」の建国を宣言した時、ゾルゲはスパイ網をつくり、日本と中国の計画に関する情報を入手するというスパイとしての最初の任務を遂行するために中国へ行く。
ゾルゲは1933年にソ連に戻るが、3か月後にドイツ人ジャーナリストとして日本へ向かう。日本では駐日ドイツ大使のオイゲン・オット氏の信頼を得ることに成功し、同氏から貴重な情報を入手した。2015年に東京で発見された、ドイツの外相だったリッベントロップが1938年に書いたゾルゲへの手紙は、ゾルゲに対する信頼が極めて高かったことを物語る証拠となった。リッベントロップはこの書簡で、ゾルゲの誕生日を祝福し、駐日ドイツ大使館の活動に対するゾルゲの「偉大な貢献」を指摘している。
ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲ
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/ 1941年6月22日の前、ゾルゲはナチス・ドイツがソ連に対して戦争を開始する正確な日付をモスクワに伝えた。その前にもゾルゲはおおよその情報を数回にわたって報告していた。だがスターリンはゾルゲを信じず、これがその後、ゾルゲの悲惨な運命を決定づけることとなった。1941年10月18日にゾルゲが逮捕された後、ソ連の捕虜となっていた位の高い日本の軍人とゾルゲを交換するチャンスがあった。だが、スターリンの指導部もソ連の諜報機関もそのための行動は一切起こさなかった。
ゾルゲは1944年11月7日に処刑された。ゾルゲと一緒に、信頼されていたジャーナリストの尾崎秀実、無線技士のマックス・クラウゼン、画家の宮城与徳らが活動していた。
© Sputnikスパイ、リヒャルト・ゾルゲ
スパイ、リヒャルト・ゾルゲ
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ゾルゲは日本で最後の愛を見つけた。それは生涯ゾルゲを愛し続けた日本人女性の石井花子だった。石井さんのおかげで日本にゾルゲの墓が建てられ、今もロシア人や日本人が花を供えている。