スプートニク日本
「あなたから誰かが逃げ出すなんて信じられない。」モスクワにいる編集長は、またも街なかインタビューに失敗したと私から報告を受けてそう答えた。何も難しいことは無いように思われる。日本語が話せるなら特にそうだ。だが丸一年の拒絶と数百回もの怯えた顔を経ると、誰かに何かを尋ねる必要があると考えるだけで身が竦んだ。
「根拠は?」と言いたいかもしれない。では、私の経験からいくつか例を共有しよう。
「No-no-no!」
2018年5月。一般の日本人がロシアから連想するものを語る短い動画を複数制作するよう編集部から指令を受けた。
ズルをしてロシアに詳しい友人に助けを求めることは、正直な記者のルールに違反する。そのためカメラマン(彼も外国人)を連れて街に出た。課題は簡単ですぐに終わると思っていた。わずか3人へのインタビューだけで済むのだ。だが実際には、これは通行人からどんな答えでも良いから回答を得ようと試みる永遠のように長い4時間だった。
大学生グループが立ち止まってくれた(やった!)。もうすぐ3つどころか、6個の答えが手に入る。
「たった1つの質問に答えていただくだけで結構です。ロシアと言われて連想されるものは?」と日本語で私は質問した。
10分もの熟慮を終えた大学生たちはクスクスと笑い謝りながら去っていった。結局答えは出さなかった。「大丈夫。よくあること。ただロシアについて何も知らないだけなのかも」と私は考え、再び狩りに出る。
「こんにちは!突然申し訳ありません。私はロシアからの記者なのですが…」
「No-no-no!」またもや勢い良く手を振りながら歩みを速める通行人だ。
だが改めて数えてみても、インタビューは1度どころではなく、取材相手は幅広い職種と社会階層に渡った。
そもそも、毎日と言って良いほど私と知り合おうと街なかで誰かが声をかけてくる。だがロシアのプレスカードを首にかけて自分から通行人に話しかけようとするやいなや、日本人は急いで私から逃げ出すのだ。
「日本人になってみたらどうかな」
「日本人になったらどうかな」と少し考えた後に彼は答えた。「日本の記者が付けている腕章を持っていないだろう。プレスカードを付けたとしても、みんなは君が誰だかわからなくて、話したがらないんだ」
クリスマスツリーの下で私は新年、新たに快適で興味深い勤務日への希望を吹き込んでくれるプレゼントを見つけた。大きく「取材」と書かれた腕章が入った封筒だ。これからは堂々とインタビューから職場に戻れる!
皆さん、東京の街なかでスプートニク特派員を見かけた時は、質問に答えていただければ大変助かります。皆さんの好意のおかげでサイトの訪問数だけでなく、私の自己評価も高まるのです!
関連記事