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対馬沖海戦は1905年5月27日から28日にかけて勃発した。対馬沖海戦は激しい砲撃戦となり、日露戦争の分水嶺となったことは知られている。ロシアで5月上旬は特に祝祭日が多いことから、対馬沖海戦の悲劇が忘れられやすい現状がある。「ツシマの日」 制定準備はこうした憂慮を反映して進められていると見られ、法案の書付には「 我々はロシア艦隊がたどった大いなる悲劇を忘れることはできないし、この先も忘れてよいものではない」と記されている。法案には、対馬の悲劇の原因について、国家権力がロシア艦隊に対する配慮を怠り、その要求をないがしろにしたためとする解釈が付されており、「重すぎるこの歴史の教訓は今日もなお全く意義を失っていない」と、強調されている。
シェリン議員は、「ツシマの日」制定を通して、戦場に散った数千人ものロシア艦隊乗組員の記憶を歴史に残したいとの考えを示している。
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