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9度の爆発と300人の犠牲者
4回の爆発音が上がったのは現地時刻で午前8時45分だった。最初の標的となったのは首都コロンボにあるホテル「シャングリ・ラ」とホテル「キングスバリー」と、聖セバスチャン教会、聖アンソニー教会の4か所。その5分後には、今度は同じくコロンボ市内の「シナモン・グランド」ホテルで、続いて15分後にカトリックのザイオン教会で爆発音が轟いた。
危険な仏教徒ら
スリランカ情勢は2009年にほぼ30年にわたる内戦が終了して以来、ここ10年ほどは安定していた。仏教を信奉するシンハラ人とヒンドゥー教徒が優勢を誇るタミール人の分離主義的組織「タミル・イーラム解放のトラ」の間にあった民族間、宗教間の闘争は1976年、完全に武力戦闘に形を変えた。内戦は終了したが、仏教政権はタミール人とイスラム教徒の迫害を止めなかった。
2018年初頭、過去7年で初めてスリランカで非常事態宣言が出された。ある1人の仏教徒が殺害された後、これに関与したのがイスラム教徒だったのではないかという憶測が飛ぶと、キャンディ市でイスラム教徒の経営する店舗がポグロムの被害に遭った。スリランカのイスラム教徒は他の地域に比較して昔から一般に穏健だが、これをきっかけにそのイスラム教徒と仏教徒の間に軋轢が生まれ、1年の時間をかけてゆっくり加熱していった。
キリスト教徒らには衝撃
逆にキリスト教徒はスリランカ島ではほとんど目立たない存在だ。150万人という信者の数はスリランカ全人口のおよそ7%に過ぎない。キリスト教徒とイスラム教徒社会間のいざこざは今まで一切なかった。にもかかわらず4月21日のテロ攻撃はこの穏健な少数派を狙って行われたのだ。
モスクワ駐在のダヤン・ジャヤティレッカ・スリランカ大使はこうした突然の憎悪が一体何を原因として噴出したのか、理解に苦しむと打ち明けている。
大使は、こうした理由でスリランカの特務機関にはこのようなテロに対する構えが皆無だったとみている。「タミル・イーラム解放のトラ」に関しては特務機関も急進主義者と対抗するための豊かな経験を積んでおり、新たな脅威が来ても十分これが役立つ。一方で「タミル・イーラム解放のトラ」の起こす行動は合理的に説明も理解も可能と言えるが、キリスト教徒を標的にしたテロにはどう対処したらいいか、誰にも分らない。
反キリスト教的な熱病
テロの犯行声明が「ダーイシュ(IS)」から出された。だが、この声明の前に小規模のイスラム教急進主義的組織「ナショナル・タウヒード・ジャマア」も犯行声明を出していた。両方とも証拠は一切提示していない。現在スリランカ政府はどの組織の犯行か、国際的な支援を受けて起こされたテロなのか、状況の解明に必死で努めている。
テロの動機はつかみがたい。ジャヤティレッカ・スリランカ大使は、「この者らが反キリスト教的な熱病にかかったとする見方が近いだろう。これは他の諸国でも見られる傾向だ。彼らは復讐を望むが、その復讐は理屈にかなったものではない。なぜなら地元のキリスト教徒は何も悪いことはしていないからだ」と語っている。
経済、投資、観光は大打撃
スリランカのイスラム教徒の少人数の部隊はこれまで攻撃性を示したことはなかった。小規模のテロでさえ起こしたことはなく、デモや抵抗運動を組織するにとどまっていた。
ロシア科学アカデミー世界経済国際関係大学の学芸員、アレクセイ・クプリヤノフ氏はそう指摘する。にもかかわらず若いイスラム教徒が急進化したということは、クプリヤノフ氏は、外的な勢力のテコ入れなしには考えられないと断言する。
「人口のほぼ10%を占めるイスラム教徒は辛酸をなめてきました。大半の市民は穏やかで主に取引に従事しており、問題は金で解決することに慣れています。」
テロの情報は瞬く間に全世界を駆け巡り、これでスリランカは魅力的な旅行先のリストから姿を消した。爆発が宗教施設だけでなく、外国人ツーリストが宿泊するプレステージの高いホテルでも起きたことはスリランカの経済にも打撃を与えた。これは投資魅力度にも影響してくる。
もう1つのファクターは12月の大統領選。政治家らはことあるごとにイスラム教の問題を手段に訴え、時にはイスラム教徒をスケープゴートにして、災いのすべての原因を彼らに押し付け、これによって反イスラム教的有権者の票稼ぎを行うか、またその逆にイスラム教徒に明るい未来を約束し、人口の10%の票を獲得してきた。こんな事件が起きた今、こうしたレトリックが選挙活動の行方にどう表れるか、それはスリランカ政権が事件の状況を明らかにし、真犯人を公表してからわかるだろう。