戦いこそ、生きる目的 無敵のロシア人ボクサーがリング禍で死去

© AFP 2023 / Getty Images/Steve Marcusダダシェフ氏
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スポーツ界はロシア人ボクサーのマキシム・ダダシェフ(28)の早すぎる死に悲嘆にくれている。ダダシェフは7月23日、米国で行われた試合で受けた傷が元で死去した。ダダシェフの記録は連続13勝。今回の負け試合は初の、そして最後の敗退となってしまった。

19日に米メリーランド州で行われた国際ボクシング連盟(IBF)スーパーライト級世界王座の挑戦者決定戦でTKO負けしたマキシム・ダダシェフ(ロシア)が23日、脳の負傷で死去したとスポーツ専門局ESPN(電子版)が報じた。28歳だった。

7月20日、ダダシェフは国際ボクシング連盟(IBF)スーパーライト級(63.5キロ以下)世界王座の挑戦者決定戦でプエルトリコのスブリエル・マティアス と対戦。

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試合は11ラウンドで中断された。ダダシェフは大量のパンチを食らったため、ロシア・チームは試合続行を断念。

試合が終わるとダダシェフの容態は直ちに悪化し、嘔吐の後、意識を失った。運ばれた病院でダダシェフは重症の脳浮腫と診断された。長時間にわたる手術で血腫の除去は成功。ダダシェフは集中治療室に移され、人工的な昏睡状態に置かれていた。

だが彼の心臓はもたなかった。7月23日、タダシェフはとうとう息を引き取った。

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こうした例は残念ながらボクシングの歴史では初めてのことではない。ボクシングのルールでは、組織者側は出場する選手の健康状態が完璧であることを確認する義務があるが、試合で受けた傷に対しては組織者もボクサーもなんら責任を負わない。後を絶たない、こうしたリング禍から数例を引こう。

2005年4月15日、日本スーパーフライ級王者(52.2キロ以下)の田中聖二(享年28歳)は入院先の病院で亡くなった。田中は4月3日に行われた日本王座初防衛戦で対戦相手の名城信男から重傷を受けた。田中は試合後、更衣室で意識をなくす。搬送先の病院で手術を受けたが、意識を回復することなく帰らぬ人となった。

2011年12月のセルゲイ・コバレフVSローマン・シマコフの対決でも、シマコフが脳に損傷を受け、これがもとで死去している。

2012年3月31日、インドネシア人どうしのムハメド・アフリザリVSイルヴァン・マルブンの対決でも同じことが起きている。アフリザリは血腫が原因で息を引き取った。

2018年11月5日、イタリアのクリスチャン・ダギオ(49)はWBCアジアライトヘビー級シルバー王者決定戦でタイのドン・ペルアングを相手に戦い、リングに2度倒れ、最終ラウンドで立ち上がることができなかった。ダギオは2日間、昏睡状態にあった後、死去している。

リング禍の中でも最も悲劇的なのはロシアのマゴメド・アブドゥサラモフ、マーゴのケースだ。

2013年11月、無敵のマーゴは、これも全戦全勝のキューバのマイク・ペレスと対戦。結果はペレスの勝利に終わったが、試合後、アブドゥサラモフは頭痛を訴え始めた。

マーゴの呪われた運命はこの瞬間から始まった。そしてそれは今も終わってはいない。

マーゴの家族、弁護士は試合会場の医療サービスのトップは急務を理由に救急の支援を行わず、タクシーを呼ぶよう言い渡したという。

タクシーはなかなか来なかった。到着した病院でもマーゴは35分待たされた。結局、手当が行われたときはすでに遅く、頭蓋骨にあった血の塊は除去されたが、それでも脳卒中は起きてしまった。

マーゴの右半身は麻痺した。危篤状態となったマーゴは人工的な昏睡状態に置かれた。

マーゴは奇跡的に一命をとりとめた。だが生涯、車椅子生活を強いられることになった。会話ができるようになったのはつい最近だ。

試合から3年もの長い時間がたって、マーゴの弁護団はようやく賠償訴訟に勝利した。ニューヨーク州はマーゴの家族に対し、米国史上、最大の賠償金額の2200万ドル(およそ23億7700万円)を支払った。

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