通信社スプートニクが、20世紀のロシアの最も重要な3つの戦争を通したモシン・ナガンの歴史を読者の皆様にご紹介する。
ロシア革命前における道の始まり
モシン・ナガンの誕生は、ロシアの有名なトゥーラ造兵廠の最も才能ある銃器設計者の一人、セルゲイ・モシン大尉と関係している。
モシン・ナガンは1890年に装備として採用された。特別委員会のコンテストに合格、ロシア軍の老朽化した装備にとって「気分を一新してくれるもの」となった。全世界が化学者ドミトリ・メンデレーエフが発明した無煙火薬を使用した小口径の武器に移行した。
- 興味深い事実
委員会はコンテストの勝者2人のうち1人のモデルを選ぶことができなかった。セルゲイ・モシン大尉のモシン小銃と、ベルギーのもう1人の設計者レオン・ナガンの弾倉5発のモデル(知識が豊富な読者の方は、レオン・ナガンの回転式けん銃「ナガンM1895」をご存知だろう)のうちから一つを選ぶことができなかった。
そこで委員会は、双方が納得のいく決定を承認した。ロシア軍にはモシン小銃が採用されたが、それはレオン・ナガンの5発の弾倉を搭載した改良版「モシン・ナガン」となった。
初の大規模な実戦経験=露日戦争
モシン・ナガンは、長さの異なる3つのバージョンが採用された。
- 歩兵用 (1700 mm)
- 竜騎兵用(騎兵用)(1500mm)
- コサック用 (銃剣なし)
発射速度 - 毎分10発。
短剣も装備された。
当初の射程距離は1000~1500mだったが、露日戦争時には2000m以上の距離でも成果を示した。
日露戦争開戦までに、約380万挺が軍に納入された。
第一次世界大戦による変更
第一次世界大戦の勃発に伴い、節約のため、主に竜騎兵バージョンが製造された。
1910年には、先の尖った弾丸を入れる新しい弾薬筒、その 破甲および焼夷バージョンの使用を考慮して大幅に改善された。
- 興味深い事実
複数のモシン・ナガンが米国で製造されたが、普及しなかった。
大祖国戦争の前
ソ連でも最も頻繁に製造されたのは竜騎兵バージョンだった。銃剣攻撃は少なくなり、歩兵バージョンはあまりにも不便だった。
よりコンパクトなモデルを製造する必要があり、1994年に折りたたみ式銃剣を装備したカービンとなった。
1931年にはモシン・ナガン「狙撃銃」が登場、光学照準器が取り付けられたものはソ連の伝説的スナイパー、ヴァシリ・ザイツェフのお気に入りの武器となった。
1941年5月から1944年末までにモシン・ナガンを基盤とした小銃やカービンは計1100万挺以上製造された(最大1300万挺という情報もある)。
モシン・ナガンの製造数の合計は3700万挺。
- 興味深い事実
ロシア連邦では、モシン・ナガンを廃止する正式な指令がなかったため、今でも軍の装備に正式に含まれている。
モシン・ナガンは、技術的なシンプルさと信頼性という成功の秘密を学び取った。この秘密が、大量生産され、ロシアの兵士たちに真に愛される所以となった。