総統の生家
1889年4月20日にヒトラーが生まれ、3歳まで過ごしたこの家の運命は、すでに数年来、広く世間の注目の的となっている。
© 写真 : Josef Franz Klinger/Deutsches Bundesarchiv小さいころのヒトラー
小さいころのヒトラー
第2次世界大戦時、この建造物は文化センターとしての役割を担っていた。ナチスがオーストリアから撤退する際にこの家は爆破される手はずだったが、米軍の突破で破壊は間に合わなかった。戦後、ここははじめ図書館にされ、その後は小学校、そして障害者用の工房となった。1952年、家は賠償として今日の所有者の家族に譲渡された。2011年からは空き家となり、17世紀の建築記念物とされてきた。
© AP Photo / Kerstin Joenssonヒトラーの生家
ヒトラーの生家
© AP Photo / Kerstin Joensson
家の前には、「恒久平和と自由、民主主義を求める。ファシズムは二度と許さない。多くの犠牲者たちがこれを我々に託している」と刻まれた記念碑が建っている。
© AP Photo / Kerstin Joensson記念碑
記念碑
© AP Photo / Kerstin Joensson
国有建造物としての役割
建物がヒトラーの個人崇拝の拠点となる懸念から、オーストリア政府は当初から建物の撤去を主張していた。その後、2016年から2017年の間に家は国が没収。これが合法的な没収であった証拠に、持ち主のゲルリンデ・ポマー氏(68)に対しては、当初の要求の31万ユーロの代わりに、総額150万ユーロが提案された。しかしこの額は、その後、同国の財務検事局から高額すぎるとの異議が出された。
家の国への引き渡しは伸びに延ばされ、今日ようやく双方が合意に達することができた。ポマー氏は代々百年にわたって所有してきた家を国に渡し、81万ユーロの補償を受け取る。
デイリー・メール紙によれば、オーストリアのボルフガング・ペショルン内務相は「補償の決定が下された今、ヒトラーが生まれたこの家の新たな利用方法は、親ナチ的な活動を以外であれば、あらゆるパターンが可能だ」と語っている。
政府は元ファシストのリーダーの生家を肯定的な方向で利用できないか、建築家らから独自のプロジェクトを募っている。