作曲家イワン・ペトローヴィチ・ラリオーノフ氏について
イワン・ペトローヴィチ・ラリオーノフ氏(1830年~1889年)は作曲家であるだけでなく、音楽学者であり、フォークロアの収集家でもあった。兵役後、ラリオーノフ氏は当時まだ片田舎であったサラトフ市に移住し、ロシア中を旅しながら400曲以上の民族音楽の作品を記録して回った。
1860年の終わり頃、サラトフの芸術活動家たちは、音楽や踊りを含めた人々の生活様式についてのアマチュア演劇を創作した。まさにそのときこの演劇のためにラリオーノフ氏は自身ではじめて「カリンカ」を作曲した。
歌について
歌の名前は、愛らしい「カリンカ(ガマズミ)」の名前に由来する。ガマズミは赤黒く苦味のあるイチゴ科の潅木。
この歌「カリンカ」自体が美しい女性へ愛を求めるメッセージ。フォークソングの歌詞はシンプルで、メロディーはテンポの速いダンス調からゆったりした調子まで変化する。曲に合わせてテンポのよいフォークダンスが踊られる。
ロシア人なら誰もがこの曲の出足の部分を知っている。
Калинка, калинка, калинка моя,
В саду ягода малинка, малинка моя!
ガマズミよ、ガマズミよ、私のガマズミよ!
庭には私のエゾイチゴが、エゾイチゴの実があるよ
最高の名声
まもなくラリオーノフ氏は、当時親交があった民族コーラス曲の作曲家として有名なアグレーネフ・スラビャンスキィ氏に依頼され、彼のレパートリーに「カリンカ」を提供した。スラビャンスキィ氏のコーラスにより「カリンカ」は有名になっていった。このコーラスは欧州のいくつかの国々で披露された。
その後、この曲は当時民謡歌手として有名だったナジェージダ・ヴァシーリエヴナ・プレヴィツカヤ氏のレパートリーにも加わることとなった。
旧ソ連時代
ロシア以外の国々で「カリンカ」が本当に有名になったのは、アレクサンドル・ヴァシーリエヴィチ・アレクサンドロフ氏の功績による。旧ソ連の最大の楽団であった同氏のオーケストラのレパートリーにこの曲が加わった。
ところで、ロシア国歌のメロディーベースである旧ソ連国歌を作曲したアレクサンドル・アレクサンドロフ氏が「カリンカ」を編曲したが、そのことにより「カリンカ」は旧ソ連全体に知れ渡り、そしてその後海外で愛されるようになっていった。
「カリンカ」は、大祖国戦争の前線でさえ響き渡った。アレクサンドロフ氏の孫によれば、戦時中に前線でコンサートが行われ、それをドイツ人たちが耳にし、拡声器で「カリンカ、カリンカ!」と叫んだという。
戦後すぐに敗戦したドイツのメイン広場であるベルリンのアレクサンダー広場でコンサートが開かれた後、この歌は世界的に有名になった。
その際すでにこの曲はプログラムでフォークソングとして扱われていた。
名声のピーク
「カリンカ」の名声のピークは旧ソ連のブランドとなった1976年といっても過言ではない。この年、インスブルックオリンピックで「カリンカ」のメロディーにあわせ、有名な旧ソ連のフィギュアスケーターのイリーナ・ロドニナ選手とアレクサンドル・ザイツェフ選手が演技を行っている。このナンバーは、多くのスポーツファンにとって古典的なフィギュアスケートの演技となった。
ロシアで、そして世界で
「カリンカ」は今日、コンサートでの定番として演奏される。
この曲は2018年のサッカーワールドカップでも流れた。
この「カリンカ」、カリーニングラードのスーパーマーケットでドキリカメラ顔負けのフラッシュモブでも使われたことがあった。
「カリンカ」のメロディーのもと、ロシア外務省のザハロワ報道官もダンスを披露した。
「カリンカ」は現代風にアレンジされ人々に愛されている。
この曲は日本や中国でも愛された。