旧ソ連大統領
ミハイル・ゴルバチョフ氏は、旧ソ連のはじめての、そして最後の大統領(1990年から1991年)。同氏の大統領の時期にはたくさんの重要な出来事があった。
- ソビエトシステムの大規模な改革の試み(「ペレストロイカ」)
- 冷戦の終結
- 旧ソ連の崩壊
ゴルバチョフ氏は、「私たち2国間の関係は『島々の問題』により複雑化している。しかし、私は、1990年代前半に私が提起した概念、つまり、まずなによりも協力し、あらゆる分野で関係を発展させ、さらに大きな信頼を得るということ、そのことをベースに領土問題解決の条件を構築することがより深い理解へつながると指摘したい」と記述した。
史上初となった旧ソ連首脳の日本訪問
1991年4月16日、旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が日本を公式訪問した。この訪問については、同氏の別の著書『人生と改革』(1995年)で詳細に記述されている。
日本訪問を直前に控え、ゴルバチョフ氏はハバロフスクに2日間滞在し、議論が続けられている島々の問題について地域当局と住民の考えを理解しようとした。
その際、当地でゴルバチョフ氏は捕虜となった日本兵の墓に花輪を供えている。
日本では公式代表団がゴルバチョフ氏を歓迎した。その際、同大統領は皇居を訪問し、天皇皇后両陛下と約1時間にわたり会談を行った。
また、同書でゴルバチョフ氏は、当時の海部俊樹首相との個別会談での様子について紹介している。
「海部首相、問題の解決を図ることを望み、そして現実主義であるなら、私たちは一緒に新しい段階に進まければならないと思う」。
さらに著書では、「議論となっている島々」と平和条約の問題に関する旧ソ連と日本側の交渉の緊迫した雰囲気について記述がされている。交渉の結果、公報が作成され、15項目の協力に関する条約が署名された。
ゴルバチョフ氏は東京から京都まで新幹線で移動し、その後、長崎も訪問した。
「長崎の訪問は日本国民との印象深い交流の思い出となった。数キロにわたって私たちはたくさんの人だかりの中を自動車で移動したが、その後、車を降りて歩いた。平和公園では被爆者との対面も行った。私たちは日本国民から歓待を受け、政治や経済界の代表、学生たち、子どもたち、スポーツ選手たちと交流を行った」。