どうして能楽なのか?日本の魅力を発揮できるものはほかにないのか?アニメはどこにいったのか?
もちろん、ほかにもある。実際、アニメは効果的なソフトパワーの好例だ。しかし、まさに能楽こそが700年の長きにわたって、今私たちが目にしている形で存在し続けてきた類い稀なる日本文化なのであり、日本の重要な文化的DNAなのである。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の古宮正章副事務総長も能楽とオリンピック・パラリンピックの精神的な繋がりについて以前にこう述べている。「能、狂言の底流には平和や多様性、共生という、オリンピック・パラリンピック精神につながるものが入っていると理解しております。ぜひそういう面でも、世界に対して能や狂言の持つ精神を発信していただければと思っています。」
東京2020大会開閉会式チーフ・エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターに他でもない野村萬斎氏、有名な狂言師(能楽)が選ばれたのも偶然ではない。
さらに「オリンピック能楽祭」の開催は決して新しいイニシアチブではなく、1964年の東京オリンピックの伝統を継承したものである。とはいえ、56年前の能楽祭の開催期間が10日間だったのに対し、今回は12日間もある。日本能楽会の粟谷能夫会長は以前、前回の東京オリンピックを振り返りながら、当時は能楽のみならず日本文化全体が衰退していたが、今回もまだ、若者の自らのルーツに対する関心を取り戻すという課題が重要性を失っていないことは残念だとして、次のように述べていた。「実は私も前回のオリンピックで楽屋働きとして参加しました。その当時は西洋文化が押し寄せており、日本文化が下火になっていましたが、オリンピックを機会に日本の文化を再発見しようという機運で、若いお客様がたくさんいました。今回も若い人にアピールしていかなければならないなと思います。」
外国人から見たお能
筆者が能楽とオリンピック・パラリンピックとの繋がりを考えるようになったきっかけは、Japan MICE NAVI の招待で国立能楽堂の「若者能」を見たことである。
「若者能」とは何なのか。公式サイトによると、「若者能」は「初めて観る方のための優しいお能」。「若者」が中心となって、一流の能楽師による「能」の舞台を企画・運営しているそうだ。「若者能」は日本人だけでなく外国人にも能楽を普及させることを目的としているが、決して演目の内容を簡略化したものではない。
では、通常の能に比べて「若者能」が分かりやすいのはなぜなのか。
まず、狂言や能を見るときに観客は携帯アプリLINEを使って、舞台で何が繰り広げられているのかの説明文を日本語と英語で受け取ることができる。次に、各演目が始まる前に若い司会者が出てきて、能が思っているほど怖いものではなく、面白いものでありうる理由を語ってくれる。
一方で、能を見るのはずっと難しく、頭の中に答えのない疑問がたくさん湧いた。おそらく真面目な能楽の本を読めば、それぞれのストーリーや使われている象徴的なものの意味について詳細な説明があり、それを知った上で見ればずっと意味のあるものになりうるのだろう。どうやら、この知識不足が外国人のみならず、日本人をも困らせているようだ。
実際のところ、能を見る方法に唯一の正解はない。「若者能」の公式サイトでは「豪華で美しい装束が視覚に訴えるもの、囃子や謡のメロディーが聴覚に訴えるものをもとに観ている人が頭の中で作り上げるイメージこそが本当の能舞台」だと説明されている。能楽とは禅を語ったものであり、急速に変化する世界で多くの人々が自分と時間の感覚を見失いがちな中にあっても、一瞬立ち止まって重要なことに意識を集中させる能力というものを語っている。一人でも多くの日本人がこうした視点から自国の遺産の価値を真に自覚するようになれば、世界最強のソフトパワーになるかもしれない。