時事通信の報道によると、菅義偉官房長官は30日の記者会見で、志村けんさんの死去について「大変残念に思う。心よりご冥福をお祈りする」と哀悼の意を述べた。さらに国内の感染状況については「急速な感染拡大を回避する上で極めて重要な時期だ。感染拡大防止に全力で取り組む」と強調した。
志村さんの多くのファンがその急死を悼んでいる。日本の女優、歌手の研ナオコさんは自身のツイッターで「今は何も 考えられません けんちゃんと、もう会えなくなっちゃう 悲し過ぎて あり過ぎる想いが整理できません 一緒に仕事が出来て幸せでした ありがとう…」と心境をつづった。数多くのコント番組で志村さんとコンビを組んでいたのが研さんだった。
今は何も
— 研ナオコ (@naokoken77) March 30, 2020
考えられません
けんちゃんと、もう会えなくなっちゃう
悲し過ぎて
あり過ぎる想いが整理できません
一緒に仕事が出来て幸せでした
ありがとう…
志村さんの死を、日本人とともにロシア人のファンも悲しんでいる。
露日翻訳家のナタリア・プシコワさんは自身のフェイスブックで「志村けんさんは新型コロナウイルスで亡くなりました。この大きな悲しみは多くの日本人のものだけではありません。私にとっても日本人にとっても志村さんは家族の一員で、いつも一緒にいるべき存在でした。今日、私は日本中の人々と一緒に泣いています」と悲しみを綴っている。
プシコワさんの投稿に、モスクワのプーシキン美術館の美術史家でロシアにおける日本美術の紹介に貢献しているアイヌーラ・ユスポワさんも共感し「志村さんは私の家族のお気に入りでした。たくさんの笑いと喜びを与えてくれました! 彼はいつもそこにいると思っていたんです」とコメント欄で述べている。
モスクワ国立大学附属アジア・アフリカ諸国大学の日本研究家、リュドミラ・コトワ先生は「残念でたまらない。志村さんは日本とヨーロッパのユーモアをうまく融合させたコメディアンでした。個性的でした!『変なおじさん』は、日本の象徴の一つです」と述べている。
志村けんさんは1974年、日本のコントグループ、ドリフターズで芸能活動を開始し、お笑いバラエティ「志村けんのバカ殿様」、「変なおじさん」のキャラクターで一躍有名に。邦画に出演、洋画では声の出演を果たした他に、監督、あらゆる番組のプロデューサー、脚本家を務め、音楽活動も行っていた。また、東京五輪の聖火ランナーに出場予定だった。4月には原田マハ原作『キネマの神様』の映画への出演を予定していた。