イスタンブールのアヤソフィア キリスト教とイスラム教の間で
アヤソフィア(旧ハギア・ソフィア大聖堂)は、ビザンティン建築の唯一無二の建造物だ。東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(在位518〜527年)は、コンスタンティノープル(東ローマ帝国の首都。現イスタンブール)の栄光を後世にまで伝えることを決意、ハギア・ソフィア大聖堂の建設を命じ、532〜537年に完成した。ユスティニアヌス1世は、この大聖堂を世界に類のないものにすることを夢見て、床を金塊でつくることさえ計画した。
1453年にコンスタンティノープルがオスマン帝国によって陥落した後、大聖堂はモスクに変わり、コンスタンティノープルはイスタンブールと改名された。1935年、トルコ共和国建国の父と呼ばれるケマル・アタチュルク初代大統領が署名したトルコ政府の政令により、アヤソフィアは博物館となり、建物内に描かれた初期のキリスト教のフレスコ画やモザイク画を塗り固めていた漆喰の層は剥がされた。1985年、アヤソフィアはユネスコの世界遺産に登録された。
地位変更は、政治的な動きによるもの?
トルコのエルドアン大統領は2019年3月、アヤソフィア博物館をモスクに戻すことを提案した。
トルコでは今年、コンスタンティノープル陥落の日にあたる5月29日に博物館の建物内でイスラム教の聖典コーランの朗読が行われた。この出来事の後、アヤソフィアの行く末を巡る議論が再び巻き起こった。
CNNトルコが6月5日に報じたところによると、エルドアン大統領は党首を務める公正発展党に対して、アヤソフィアの地位変更に関する包括的な調査を行うよう指示したという。
そして7月2日、トルコ国家評議会はアヤソフィア博物館をモスクに戻す可能性について議論した。同評議会は近いうちに最終決定を発表する。
多くの西側メディアは、エルドアン大統領が打ち出したイニシアチブは、トルコの有権者を自身の政党をめぐって団結させることを目的としていると報じている。最近実施された世論調査によると、公正発展党の支持率はここ数ヶ月で著しく低下した。
エルドアン大統領は、その地位が変更された後も、観光客はスルタンアフメット広場にあるブルーモスクと同じようにアヤソフィアを訪れることができると強調した。
アヤソフィアは不和の林檎?
しかし、エルドアン大統領の提案に誰もが賛同しているわけではない。正教会を率いるコンスタンティノープル総主教庁のヴァルソロメオス1世総主教は、アヤソフィアのモスク化に強く反対した。
ヴァルソロメオス1世総主教は、アヤソフィアは最も重要な文化遺産の一つであり、これはその直接の所有者のものであるだけでなく、「全人類のもの」であるとイスタンブールでの礼拝で語った。他の地方の正教会のトップも反対の声をあげた。
歴史家たちも、アヤソフィアの地位が変わる可能性を懸念している。イスタンブールのボアズィチ大学の歴史家エドヘム・エリデム氏は「アヤソフィアは1500年にわたってその建築を根本的に変えることなく、2つの世界的宗教に仕えてきた。このような建築物は世界でも指で数えるほどしかなく、保存する必要がある」と指摘している。
ロシア正教会も懸念を表明した。ロシア正教会の渉外を担当するイラリオン府主教は、テレビ局「ロシア24」に出演し、アヤソフィアを昔の地位に戻してはならないと強調した。
イラリオン府主教は、「今、中世の時代に戻ってはいけない。私たちは多極化した世界、多宗教世界で生きている。信者の気持ちを尊重する必要がある」と語った。
イラリオン府主教によると、キリスト教徒はアヤソフィアの唯一無二のフレスコ画の運命を案じているという。
イラリオン府主教は、「現在、アヤソフィアに存在するモザイク画は、漆喰で塗りつぶされたことにより現代まで奇跡的に残った。これらのモザイク画を見ることができるようになったのは現代の時代になってからだ。もし再びモスクになってしまったら、モザイク画の運命はどうなってしまうのか?この建物はどのように機能するのだろうか?アヤソフィアは『全人類の財産』だ」と述べた。
米国でも反対の声が上がった。マイク・ポンペオ米国務長官は声明で、米当局はトルコに対し、アヤソフィアを博物館として維持し、モスクに戻さないよう求めると発表した。
トルコのエルドアン大統領は3日、アヤソフィアの博物館としての地位が失われる可能性に関してトルコ政府を非難することは、国の主権に対する攻撃だと述べた。
エルドアン大統領は「我々は他の国々の礼拝場所には干渉しない。したがって、我々の聖地に干渉する権利や権限は誰にもない」と述べた。
トルコのメヴリュト・チャヴシュオール外相は、トルコは他の国々の意見を考慮することなくアヤソフィアの地位を変更し、モスクに戻す権利を持っていると述べた。
なぜアヤソフィアはロシア正教会にとって重要なのか?
ロシア正教会は、世界の文化・宗教的遺産としてのアヤソフィアの行く末に懸念を表しているほかに、アヤソフィアがロシアの国家形成に重要な役割を果たしたことも指摘している。(後のロシアの形成につながる)キエフ大公国のウラジーミル1世(10世紀)がコンスタンティノープルに派遣した使者たちがこの美しい聖堂の祈祷に参加した際、彼らは「地上にいるのか天上にいるのか分からないと感じた」という。この使者らの訪問が、当時多神教だったキエフ大公国が988年に正教を国教として導入することにつながった。