ツォイの没後30年にあたる8月15日、ロシアでは国営放送「第1チャンネル」でツォイがボーカルを務めたロックバンド「キノ」が行ったコンサート映像が放映される。
Day as a day 🙂
— Hosico cat (@Hosico_cat) June 24, 2020
Music: Viktor Tsoi - When your girl is sick
Музыка: Виктор Цой - Когда твоя девушка больна pic.twitter.com/8tjtJuSbPE
コンサートはモスクワのルジニキ・スタジアムで1990年6月24日に行われたもので、それから間もなくツォイは交通事故で他界した。コンサートは7万人の観客を集め、1980年モスクワ五輪の聖火が点火されたほか、コンサート終了後は祝砲が鳴らされるなど、様々なエピソードが残されている。
🕯️ 15 августа 1990 года, потухла самая яркая ЗВЕЗДА - Виктор Цой!
— Гларус (@glarus88) August 14, 2020
Но, его творчество жило, живет и будет жить!!!#Цой #Кино pic.twitter.com/4xL0oBHpT6
また1988年に撮影されたツォイのドキュメンタリー映画「イグラ」(邦題は「僕の無事を祈ってくれ」)もロシア各地の劇場で上映される。
15 августа в кинотеатрах сети «КАРО» в Москве и в самарском кинотеатре «КАРО 8 Московский» начнутся показы фильмов Рашида Нугманова «Игла» и «Йя-Хха», главную роль в которых исполнил Виктор Цой.
— Colta.ru (@ColtaRu) August 13, 2020
▶️ https://t.co/2inJhpyOCS pic.twitter.com/cR0eXeUjcV
ツォイの没後30年を受けてロシアでは新作映画も公開される。映画「ツォイ」(9月3日に公開)を撮影したアレクセイ・ウチーチェリ監督はリアノーボスチ通信の取材に応じた中で、親交のあったツォイについてこう語った。
ビクトルは思っていることを発言しないタイプで、かなり内向的だった。でも、コンサートになると人が変わり、観客は虜になっていた。当時から毛並みが違うとは思っていたが、没後から30年経ってもなお崇拝される人物になるとは思わなかった。
ウチーチェリ監督はその神秘的な魅力の謎を解くため、映画「ツォイ」に取り掛かったという。
あの時から実に多くのものが失われた。でも、彼だけは例外だった……政治的な意味でさえ、彼の歌が今もなお現実味を失っていないことにはただ驚く。彼を映画に撮っていた頃、歌詞は面白いけれど、メロディーにしても、使う言葉にしても単調だと思っていた。時間と共に僕の考えは変わった。彼の言葉にはもっと多くのものが込められている。
レニングラード(今日のサンクトペテルブルク)でツォイが暮らしていたマンションの近くには財団「ビクトル・ツォイの記憶」によるイニシアティブで記念碑が設置され、献花が行われる。
В этот день 15 августа ровно 30 лет назад ушёл из жизни легендарный рок музыкант, лидер группы "КИНО" Виктор Цой. Установили памятник, видели? #Рок #Кино #ВикторЦой pic.twitter.com/MokkTtBvIX
— Сергей Рок (@Sergei_Rock) August 15, 2020
ツォイは1962年6月21日にレニングラードで生まれ、19歳でロックバンド「キノ」を結成。作詞作曲はいずれもツォイが手掛け、ソ連末期のロック界をリードしてきた。
Тридцать лет назад, в этот день 15 августа 1990 года погиб Виктор Цой. С нами остались его песни, а ещё, где-то очень глубоко в душе живет надежда, что Цой жив! Потому что легенды не умирают... pic.twitter.com/sW9d9wcDQ8
— Swiss©️Vatnik (@KissMyBlacklist) August 15, 2020
ツォイは1990年8月15日にラトビアの首都リガ近郊で交通事故を起こし、帰らぬ人となった。享年28歳だった。
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