文学翻訳の中でも特に難しい詩のなかでも和歌は古語である上に極限まで切り詰められた表現のため日本人でさえ容易に理解できない。何度か露訳された『百人一首』のなかでサノーヴィチ氏の翻訳は最高峰だとある読者は評する。「翻訳に説明が詰めこまれ、本来の詩情が残っていない翻訳」があまたある中、歌をあるがままに訳し、丁寧な注釈をほどこし、「『百人一首』のみならず、日本の詩歌を総体として紹介する」ことに成功していると。
サンクトペテルブルクにある「ロシア競技かるたクラブ」は訃報に落胆し、自分たちに百人一首の美を伝えてくれたサノーヴィチ氏のおかげで「日本語が分からないロシア人も和歌の美しさを理解することができました」と心からの感謝を表した。
サノーヴィチ氏の薫陶を受けたエカテリーナ・シモノヴァ=グゼンコ教授(モスクワ国立大学、アジアアフリカ諸国大学)はウェブサイト「2020文学年」に寄せた追悼文の中で同氏が「私は研究者ではありません、翻訳者です。研究者であるとすれば、毎回、ロシア語でどう言い表せるかを探求するという意味においてのみです」と繰り返していたと書いている。
「日本語の原典の正確な言い換えを探して、時に膨大な力と時間がかかることもありました。ですから出版物はそう多くはなかった。けれど、その一冊一冊は完璧に研ぎ澄まされていました。彼は日本を、日本文化と文学を愛していました。だから相手も彼の愛に答え、誰もが到達できるわけではない深い意味を詳らかにしてくれていたのです。」
付き合いが多いわけではないサノーヴィチ氏だったが、日本にも彼を尊敬し、資料を送って支えた真の友人たちがいた。そのひとり、30年以上も親交を結んだ真宗大谷派の僧侶、畑辺初代氏は、氏との出会いを自身の幸せだと語っている。
「いまなお十分には彼の偉大さを理解してないと思っています。日本人さえ舌を巻くほど日本文学への造詣が深い方でした。」
畑辺氏によれば、サノーヴィチ氏は日本の古典文学の「心」を探求する過程で『歎異抄』に出会った。『歎異抄』に親しみそらんじるほどだったサノーヴィチ氏は、これを自身の信仰の拠り所とすると決意し、翻訳してロシアに仏教精神を根付かせ豊かにしたいという志を抱いた。『歎異抄』の露訳はすでにサンクトペテルブルク大学教授によるものが出ていたので、畑辺氏は思わず、すでに訳があるのになぜと尋ねた。
「彼は『既訳では十分には伝わりません。例えば浄をチースチイ(編集部:「清潔」の意)と直訳していますが、このロシア語と浄土の浄の観念や感じ方はずいぶん異なっていますからねえ。直訳しても浄土は感じられません』と言うのです。驚きました。」
サノーヴィチ氏の仏教の知識は、僧侶の畑辺氏が量も質も自分を凌駕していたというほど深かった。
親鸞の訳に使命感を抱いたサノーヴィチ氏を知る畑辺氏は「真の仏教者」だと言う。
「『親鸞は日本の文化の中に生まれましたが、日本文化の底を突き抜け日本文化を超えています』と、よく口にされました。『真の闇にいる私と、その闇に寄り添って限りなく深まる光、光と闇は決して離れない。私はいつも『歎異抄』との出会いを念(おも)います。光は暖かいです』という氏の言葉を何度も聞くたびに私は心の中で、あなたも本当に暖かいですと思いました。彼ほど心の芯に直接とどくように温めてくれる人を私は知りません。」
『歎異抄』を訳し終えたサノーヴィチ氏は次に親鸞の『和讃』に取り組み始めた。『和讃』は経典を読む能力のない人々のために親鸞が言葉をやさしくし、如来の心が直に伝わり、生きる糧になるようにと作り続けたものだが、量は膨大だ。『和讃』に取り組んでいたサノーヴィチ氏はガンを患い、同志だったフランス語翻訳家の妻オーリャさんにも先立たれた。その逆境で『和讃』翻訳はサノーヴィチ氏が生涯を捧げる天職となったと畑辺氏は語っている。
「奥さんの訃報を電話で伝えられた時、臨終の言葉が『あなたは和讃の翻訳を完遂しなければいけません。そうでなければスティグマ(汚名)になります』だったと聞いて衝撃を受けました。これほどの高い愛の励ましはないとしみじみ思います。」
畑辺氏は一昨年、サノーヴィチ氏に五木寛之氏著の『親鸞』を送った。親鸞の真髄は歌・和讃にあると実感する五木氏の著作で『日本にも同志がいるよ』と励ましたかったという。
畑辺氏はサノーヴィチ氏が大きな力に促されて『和讃』と出逢ったと感じている。
「『和讃』の力が自然に働いてロシア精神の深みに真の念仏信者、ビクトル上人を産み出したと感じています。厳しいまなざしでもありますが、これほどの暖かい愛を身をもって教えてくれたビクトルさんに感謝せずにはおれません。」
「日本文学はロシアの文化の構成要素の一つになっています」とサノーヴィチ氏が繰り返していたことを畑辺氏は忘れられない。それほどまでにロシアには日本文学の優れた翻訳が多く、それを通じてロシア人が日本を深く理解し、愛することができる。その優れた翻訳は、日本文学を純粋に愛し、誠実に仕事をし続ける人たちから生まれる。