ソ連建国の父 ウラジーミル・レーニン
ウラジーミル・ウリヤノフ(元々レーニンは偽名)は、1917年のロシア革命後にソビエト政権を率いたロシアの革命家。レーニンは1918年の暗殺未遂を生き延びたが、これが元でアテローム性動脈硬化を悪化させ、血管がうまく機能しなくなってしまった。
仕事量が多かったため(政府の仕事を積極的に続け、論文を書き、ほとんど寝なかった)、脳卒中と足の麻痺に見舞われ、その後再び脳卒中の発作を起こしたことから政治活動に打ち込むことはできなくなった。脳卒中により車椅子で生活するレーニンの写真はよく知られている。
レーニンは1924年に亡くなった。遺体は、「革命の指導者」として保存処理された。
日本の上皇陛下と上皇后陛下
上皇陛下(当時は天皇陛下)は2002年末に前立腺がんと診断され、翌年の年明けに東京大学医学部附属病院に手術を受けるため入院した。手術は無事成功し、上皇上皇后両陛下(当時は天皇皇后両陛下)は2月8日に退院した。上皇陛下は退院に際し、国民が回復を願ってくれたことに心から嬉しく思うとの気持ちを示した。
また、上皇后陛下は2015年には心臓に血液が十分行き渡らなくなる心筋虚血の診断を受け、治療を続けてきた。さらに2019年7月には、左胸にステージ1の早期の乳がんと診断され9月に摘出手術を受けている。
ジョン・F・ケネディ大統領 米国民から愛されたリーダー
米国人が最も愛した大統領は、重い病に冒されていた人物だった。ケネディ大統領はいつもカメラに向かって微笑んでいたが、大統領に就任するずっと前から、重度の消化器系疾患やアジソン病、治療を繰り返しても背骨の損傷による痛みが止まないという数多くの重い病気を抱えていたことを、当時は知る人も少なかった。ケネディ大統領はカメラの前で痛みに苦しむ様子を見せないように、記者会見に出る前に何度もノボカイン(局所麻酔)の注射を打っていた。
ケネディ大統領は1963年に非業の死を遂げなければ、あと何度病気と闘うことになっていただろうか。
突然病に倒れた日本の小渕謙三首相
1998年から2000年まで日本の首相を務めた小渕恵三氏は2000年4月2日、重度の脳梗塞を発症。その日のうちに病院に搬送され、夜には昏睡状態に陥った。医師の努力にもかかわらず、小渕氏は63歳の誕生日を迎えることなく5月14日に亡くなった。
朝日新聞によると、2000年4月1日には小渕首相のぶら下がり取材がテレビで放映されたが、小渕氏は発言途中で10秒ほど沈黙したことがあった。スプートニク編集部には当時の映像を覚えている職員がおり、しばらくして小渕氏の死去のニュースが報じられることとなった。小渕氏の死去は日本全体にとって大きな衝撃だった。
ボリス・エリツィン ロシアの初代大統領
ソ連の多くの指導者らは最後まで健康問題を隠していたが、エリツィン大統領は多くの点でそれまでの指導者らと同じような行動は取らなかった。エリツィン氏は健康上の問題を公表したのだ。エリツィン氏は「虚血性心疾患」と診断され、在任中の1996年には緊急手術を受けている。
エリツィン氏は1999年12月31日、ロシア国民に向けた大晦日の挨拶で、大統領職の辞任を発表した。エリツィン氏はその理由を「健康問題ではなく、全ての問題を総合的に」考えてのことと説明したが、健康状態が著しく損なわれていたことは間違いない。アルコール問題の噂も加わり、同氏の辞任は世論では「否定的に」受け止められた。
エリツィン氏の辞任後、プーチン首相が大統領代行に就任した。