結局、選手権には出場しなかったが、ホルシャギン氏の工房のことが忘れられず、仕事をやめて、入門することにした。すでに結婚していて小さい子どももおり、収入が断たれることになるが、迷いはなかった。ベリャエフさんは、その時の心境を「家族を食べさせられるだけのお金は2か月分くらいしかなかったけれど、それでも全く恐怖心はありませんでした」と振り返る。それは、心の声に正直に従った選択だったからかもしれない。
ベリャエフさんの新しい人生は、すこぶる順調にスタートした。初めて粘土とろくろに触れてから1か月半後、フェスティバル「職人の声」に作品を出品したところ、完売したのである。「あのカフェは人生の転換点になりました。しかも、本当に交差点にあるんですよ。僕の二つの人生が交差する場所だと思っています。陶芸を始めてから本当に色々なことがあったので、今となってはもう、前の人生がどんなだったか、よく思い出せないくらいです。」
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いつもそばにあった「日本」
べリャエフさんの作品の多くは、花瓶と、向こう側が見通せるオブジェクトだ。花瓶は一見すると、わびしく、物悲しい。生花ではなく、枯れた花がよく似合う。日本人の美意識や精神性に通じるものがありそうだが、ベリャエフさん自身は、「渋さ、わびしさに美しさを見出す感覚は、国境のないもの」だとみなしている。べリャエフさんの手法は、技術的にはとてもシンプルだ。彼が重視するのは、土や素材に対する向き合い方である。
ベリャエフさんにとって、ある種の日本文化は、自然とそばにあるものだった。子どもの頃から空手や合気道を習い、家では葛飾北斎の画集を眺めるのが日課になっていた。戦後日本の前衛芸術にも大いに魅力を感じている。ロシアでも人気の高い作家・村上春樹の大ファンで、最近の作品で好きなのは「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」だという。
ベリャエフさん「日本人と話していて、ハグしてもらい、君の心は日本人だよ、と言われたこともあります。もし日本に行けたら、陶芸家の方々と交流を持って、彼らの人生観や物事に対する見方などを知りたいです。」
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世界進出と故郷への愛
ベリャエフさんは、インスタグラムやFacebookに自分の作品を投稿し、販売を始めた。すると東京のギャラリー「Pragmata」(プラグマタ)のオーナーの目にとまり、作品が売れた。このギャラリーは、古いものから最近の作品まで、オーナーが選び抜いた「うつわ」を扱うことで知られており、陶芸家の間では知られた存在である。「最初の作品を買ってもらった時、嬉しくて信じられませんでした」というベリャエフさん。オーナーの審美眼にかない、ついには昨年、プラグマタでベリャエフさんの個展が開催された。
ベリャエフさん「日本で、僕の作品を『日本っぽくない』と評価してもらえることは嬉しいです。僕がやっていることは日本文化の模倣ではありません。やはり僕は、西洋と東洋をつなぐ、ロシアの陶芸家なのです。」
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ヴォログダは決して大都会ではないが、最近のベリャエフさんは、都市の喧騒に飽き飽きしており、近い将来、自分がもっと創作に専念できる場所へ工房を構えたいと考えている。それは、ヴォログダ州のリピン・ボールだ。「白い湖」と呼ばれる湖がある、自然豊かな田舎である。少年時代、毎年夏休みはここで過ごしていた。わびしい色合いと穏やかで瞑想的な景色は、ベリャエフさんの創作意欲をかき立てる。
「リピン・ボールは、僕にとって、人生が一つになる場所なんです。その場所で息子と一緒にいると、時代がひとまわりしたのだな、と感慨深いです」と話すベリャエフさん。自身の原点とも言うべきロシアの大地で、これからも創作を続けていく。