エストニア号沈没事故
旅客フェリー「エストニア号」は1994年9月28日の夜、エストニアのタリンからスウェーデンのストックホルムに向かう途中で沈没した。乗員乗客は合計で989人。救出されたのはたったの138人だった。また、遺体となって発見されたのは、わずか94名。
エストニア号は、世界で唯一、犠牲者の安寧を守るための法律で守られているフェリー。このため、事故地点での潜水活動は禁止されている。
エストニア・フィンランド・スウェーデン政府間委員会の報告書では、エストニア号は故障、運航速度が通常より高速であったこと、悪天候が原因で沈没したと記されている。
多くの犠牲者を出したエストニア号沈没事故、さらにその船体の残骸に関する調査ができないことから、人々は多くの疑問を抱くようになった。事故発生の当日から、その沈没原因に関する様々な説が生まれることとなった。
犠牲者の親族らは、エストニア号の沈没原因の追加調査と船体への潜水活動の必要性を何度も提起している。しかし、犠牲者の安寧を守る法律により、親族らの要求は全て却下されている。
エストニア号沈没事故に急展開
1994年のエストニア号沈没事故の調査委員会の前委員長であるマルグス・クルム氏は、スウェーデンの潜水艦との衝突がエストニア号沈没の決定打になった可能性があるとの考えを示している。
クルム氏によると、エストニア号の右舷側には長さ4メートル、幅1.2メートルの損傷があるという。
クルム氏は最近、「これはエストニア号の船体が破損するのに十分な大きさの物体に遭遇したことを示している」とスウェーデンのメディアで語っている。エストニア号沈没事故の話題が再び報道されたことで、世間の関心が呼び起こされることとなった。
エストニア、フィンランド、スウェーデンの外相は28日、これまで報じられていなかったエストニア号沈没事故の重要な状況が判明した場合、この事故の新たな情報について協議するとの声明を発表した。
この声明は、28日から放送が始まるディスカバリー・チャンネルの5部構成のドキュメンタリー作品の内容に含まれているエストニア号沈没事故に関する新情報を受けて採択された。