日本
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線量計を手に町を歩く
福島を訪れたロシアの女性観光客にお話を聞く
記者:
マリアチチワリナ
写真:
デニスフェドレンコ
今から10年前の2011年3月11日、日本史上で最大規模の地震とそれに伴う津波が発生し、そして福島第一原発でのレベル7に相当する事故が起きた。この震災では、およそ50万人が避難を余儀なくされ、1,000平方キロメートルもの区域が帰還困難区域となった。2018年に被災地を訪れる観光ツアーに参加したロシア出身の女性日本研究者、ニコル・スキアシャンツさんがそのときの印象を、「スプートニク」に語ってくれた。
「恐ろしい気持ちになった」
モスクワ大学付属アジア・アフリカ諸国大学で学ぶニコル・スキヤシャンツさんは、筑波大学に留学中だった2018年12月に、福島県への無料観光旅行を組織する社会団体の広告を見て、それに参加することにした。応募用紙に記入し、簡単な面接を受けた後、ニコルさんは旅行に参加する権利を手にした。観光旅行を企画した団体は、主にソーシャルネットワークを積極的に活用している外国人を集めており、ツアーグループには、写真家、ブロガー、そして米国、欧州、東南アジアの留学生たちが含まれていた。そしてツアー出発の前に、参加者全員に放射線量を測定するためのドシメーターが配布された。
ニコルさんは言う。「廃墟、復興しつつある区域、海岸などを案内してもらいました。このツアーに参加できて本当によかったと思っています。当時はバスもなく、鉄道もなく、公共交通機関は運行を再開したばかりで、車がないと自分では行けない場所だったからです」。
最初に訪れたのは富岡町。この町でニコルさんがもっとも印象に残ったのは、海岸に立つ9メートルの壁だという。「この壁を見ると、ここに町があったのだということが分かるのです。そう思うと恐ろしい気持ちになりました。そこに町があって、それが1日のうちになくなってしまったのです。それから、被災したときに何クラスかの子どもたちが避難したという唯一残された学校も印象に残っています」。
地震後、住民は一斉に家を離れた。家の中はそっくり当時の状態のまま。
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浪江町(事故原発から15キロ)に戻った、数少ないうちの一人、女友達を助けに千葉県から来た男性。家の周りにはかつての豊かな土地が残る。
基準値超える放射線量
「日本人の知り合いの多くに、なぜ福島に行ったのか、怖くなかったのかと訊かれました。その問いに答えるとしたら、心配はありましたが、興味もあったということでしょうか。日本を学ぶ若い専門家として、すべてを自分の目で確かめたいと思ったのです。わたしたち、チェルノブイリの事故の話を聞いて育った旧ソ連圏出身の人間にとっては、他人ごとではありませんでした。というのも、放射能というのがどういうものなのか、またその結果何が起きているのかを隠すことがどれほど良くないことかを知っているからです。欧州の人々はそういう意味では純朴で、チェルノブイリ原発事故のことも聞いたことがない人が多く、何もかも安全ですというガイドの話を疑いもなく信じていました」。
もう一つの問題は、線量計がどのように機能しているのかよく分からないことです。ときどき、東京ではブザー音が出るのに、福島の中心地では基準値のままであったり、逆に汚染されていない場所にいるのに、基準値超過を示しているということもありました。大都市ではどこでもブザー音は鳴るので、福島で鳴っても心配は要らないと言われました。
しかし別のことにも気がつきました。一般の歩道から5~7メートルほど離れる(友人が荒廃したカジノの写真と撮ろうとして)と、線量計の数字が上がり始め、思わずびっくりするということがありました」。
浪江町の小学校。靴を履く間もなく、ただただ逃げた。子どもらの靴は事故当時のまま放置されている。
「線量計の数値が急激に上がる」
浪江町でまず目につくのは夥しい数の放置自動車
「放射性廃棄物の袋(フレコンバッグ)が置かれた場所を通り過ぎたときには、そのことで頭の中がいっぱいになりました。あの光景には強烈な印象を受けました。今までそのようなものを見たことがありませんでした。ガイドの説明によれば、福島では、汚染した土壌を1メートルの深さまで掘り、それを日本全土に搬出するという計画があったものの、その後、それを知った各都道府県から反対の声が上がり、計画は取りやめになったということでした。汚染土の入った袋のそばを通り過ぎるとき、線量計の数字は一気に上がりました。でも、誰もこの汚染土をどのように処理すればいいのか分からないのです。
もう一つ、驚いたことがあります。自動車が並ぶ日産とトヨタのショールームの前を通ったとき、ものすごい線量を示しているのに、なんの措置も取られていないことです。町には、日本では普通まったく見られない、略奪の痕跡も見られました。
故意に窓が割られた自動車が捨てられていたり、家が荒らされていたりしましたが、ガイドも、これはどう見てもイノシシの仕業ではありませんと言っていました。
沿岸部や汚染区域では何も生産されていません。ガイドの話が本当であれば、すべては順調で、まもなく福島は完全に除染され、水道水も飲めるようになるということでしたが、それでもガイドは、具体的にどのような除染作業が行われているのかという質問にはきちんと答えてはくれず、この話をできるだけ避けようとしているのが分かりました。もちろん、彼らの気持ちは理解できます。多くの高齢者は死ぬまで自分の町に住み続けたいと思っていて、誰も自分たちの故郷を立入禁止区域にはしたくはないのですから」。
浪江町で畜産農を営む吉沢正巳さんは10年間も福島原発問題を解決できない日本政府に戦いを挑み続けている。「東京の皆さんは福島の作る電力で暮らしているんです。」
「
何も行動を起こさない人には日本の神々の罰が下り、新たなカタストロフィーが国を襲う。
」
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住民が避難時に許可されたのは犬猫のペットだけ。角のある動物は大型、小型を問わず別の居住地への輸送が困難という理由で放置(死ぬに任せる)を言い渡された。吉沢さんはどうしても牛を見捨てられず、牧場に残ることを決意。数頭の牛は放射能の影響により無残な死を遂げていった。吉沢さんは、何も行動を起こさない人には日本の神々の罰が下り、新たなカタストロフィーが国を襲うと語る。
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