そしてその後、事態は急展開した。軍事衝突、アサド政権打倒の試み、犠牲者は増大、街の崩壊・・・。不安定な情勢により、「国」を自称するテロ組織も生まれた。2015年の秋、アサド政権はロシアに支援を要請し、拡大する惨事に歯止めをかけることとなった。
反政府運動はシリアをどこに導いたのか。10年を経て、この出来事に対するシリアの人々の感じ方はどのように変わったのか。「スプートニク」がシリアの大都市に住む人々にインタビューした。
「言論の自由を求めた結果、飢餓に苦しむことに」
シリア北東部にあるハサケ県に住むライド・アル・ラヒールさんは次のように書いている。「ある人々が、ある日、目が覚めたらシリアがフランスやイギリスのようになり、そんな国で暮らせたらいいのにと願ったことからすべては始まりました。言論の自由を求めた結果、飢餓に苦しむことになったのです。10年経った今、人々にとって、街で軍警察や兵士の姿を目にすることが当たり前になり、爆発や殺人にも慣れ、武器を持って出歩くのも普通のことになりました。この国で、わたしたちが民主主義の代わりに手にしたのは、イスラムの名の下に残忍な殺害を行う原理主義者たちです。この10年、正常に機能する国家を目にすることはなく、米国の占領から逃れることもできません。米国は我が国の富を搾り取り、我が国の市民を殺害しています。10年前に反政府デモを起こした人々は、このようなことを求めていたのでしょうか・・・」。
「苦しいけれど、なんとか乗り越える」
一方、同じくハサケ県で露天商を営むハレド・ハダルさんは次のように語っている。「わたしたちは最悪な経済危機と部分的な占領、その他の深刻な問題を抱えながらもなんとか生き抜いています。しかし、この1〜2年は状況が大きく改善していることも指摘する必要があります。このことはわたしたちの住む地域でも実感できます。人々はそれほど絶望することはなくなり、わずかながらもお金を稼ぐこともできるようになってきました。もちろん、今でも非常に苦しい状況であることには変わりありません。わたしたちを巻き込んだ、幻の「自由」を求めた戦いは意味のないものでした。しかし、わたしはシリア人はあらゆることを乗り越えられると信じています。廃墟を復興させ、経済を好転させ、戦争で傷ついた人々に然るべき治療を行います」。
「生活は続いている」
ダルア市の校長、マディナ・アルアフマドさんは言う。「この10年にわたしたちを襲った不幸については、誰もが知っていると思います。しかしわたしが言いたいのは、このような悲劇が起きているにもかかわらず、わたしたちは生きているということです。シリア国民は多くを失いましたが、それでもわたしたちは生き残り、生活はまだ続いています。そしてわたしたちは一歩ずつその生活に戻ろうとしています」。
一方、3月11日、ロシアのセルゲイ・ラヴロフ外相は、シリアの政治的および経済的復興はロシア、トルコ、カタールが参加する新たな追加的枠組みの中で、調整されるだろうと述べていた。
シリア内戦は2011年から続いている。2017年にはシリアとイラクで、テロ組織「ダーイシュ」(=IS、イスラム国)を制圧したと発表されたが、シリア各地では戦闘員の掃討作戦を続いている。現在は、政治的解決、シリアの復興、難民の帰還が最重要課題となっている。