神童探しではない、前例のない音楽祭
欧州の夏には野外音楽祭が多い。神童を発掘しオーケストラと共演させる基金も複数ある。このため当初、筆者には、これもそれに類似した慈善事業だろう程度の認識しかなかった。
ところが「大小の星たち」のプロジェクト・ディレクターであるナージャ・ドブルィナさんの話をうかがう中で、この試みは完全に民間のアイデアで、しかもその理念は一般の理解をはるかに超えていることが明るみになってきた。
「大小の星たち」の目的を彼女は「若い音楽家らにクラシック音楽の大スターとの共演の機会を与える」ことであり、これが順位を競うコンクールではないどころか、子どもの参加条件も「(演奏)したい、(楽器が)できる」のみで人選は無いと言い切ったからだ。
ナージャさん:「『演奏がうまいから出られます。あなたは下手だからだめ』ではありません。楽器が演奏できる、演奏したいという強い意志を持つ子どもは全員出られます。上手くいかない時は『大きな星』がカバーしてくれるし、自信をもって演奏できる子は横で『大きな星』がより開花できるようサポートしてくれる」
プロジェクトの芸術監督で、世界的に有名なギタリストのドミトリー・イラリオノフ氏も「大小の星たち」には選別も試験もなく、「唯一の試験は舞台に出ること」と言うのだ。
応募する子らは見事に演奏できる者から楽譜がようやく読める程度まで天地の差だという。全員に呼びかける以上、これは当然の事だろうが、そんな子らがナージャさんの語るように「プロと同等のパートナーとして舞台で共演する」というのは俄かには信じがたかった。この突飛な発想はどうして生まれたのだろうか? ナージャさんにそのきっかけを尋ねた。
始まりは全くの偶然から
「ここまで発展するなど、誰も思わなかった」ナージャさん自身が感慨を持って振り返る最初の出来事は7年前に起きた。当時、音楽学校のアコーディオン科に入学したての7歳の息子、ヴァーシャくんは乞われて楽器を持って出かけた祖父の誕生日会で座から一曲弾いてと頼まれた。ところが2つの音符だけが並ぶ曲しか習っていなかったヴァーシャくんはすっかり縮こまってしまった。
ナージャさん:「ミ、ド、ミ、ド、ミミド、ミミドと簡単な曲を習ったばかり息子はものすごく恥ずかしがり、俯いて弾きはじめました。ところがそこに世界に名の知れたドミトリー・イラリオノフがいて、ギターを取ると伴奏を始めたんです。すると息子の様子が激変しました。すっかり音楽に酔いしれ、最後は誇らし気に顔を上げて実に20回近くも弾いたのです。本物の音楽家が一緒に演奏すると、子どもも音楽の感受性もここまで変わるのか、まざまざと知りました」
「夢の競演」で味わった音楽の飛翔感をヴァーシャくんは忘れられなかった。幾度も「すてきだった」と繰り返すので、ナージャさんはイラリオノフ氏と再会した時に他の子らも数人集めて、夏に戸外でやってみようかと持ち掛けた。
とうとう音楽祭が誕生
土地を探し始めるとトゥーラ州、そしてザオクスキー地区の自治体が呼応し、後援に同意した。全くの個人が純粋に子どものために入場も参加も無料でやるという意気込みに、地元の企業や市民から物心両面の多くの支援が集まった。こうして構想から3年後、コンサート用グランドピアノの提供から炊き出し隊、舞台を飾る生花にいたるまで、皆の善意と持ち寄りによるオール手作りの音楽祭が誕生。幸せに輝く子どもの顔に皆が満足を味わった。以来、これは伝統となり、わずか4年で夏の戸外のガラコンサートの他に春秋の室内と年に3回の音楽祭を開催するまでに成長した。
ナージャさんが語るプロジェクトの理念はシンプルだ。「少しでも多くの子どもに大スターと共演し、『音楽の魅力に陶酔する』感覚を知って欲しい」一見、単純明快に響く言葉の深い意味ををイラリオノフ氏は次のように掘り下げる。
イラリオノフ氏:「『大きな星』の役割は『小さな星』に音楽の霊感を吹き込むこと。一緒に練習するうちに子どもの内に『演奏したい』という願望が膨らんでいくのがわかるんです。舞台に立つチャンスを得た子どもは大きな責任と共に、我々プロが演奏の前に感じるのと全く同じ、音楽の陶酔感を味わいます。まさにこれを吹き込むことこそ、 何より大事なのです。本来、そういう感覚は子どもの内にはある。それがより大きくなった時に奇跡が起きるんです」
友情がないとできない
成功の鍵はひとつにはイラリオノフ氏による「大きな星」の人選力。バヤーンのニコライ・シヴチュク氏、サクソフォンのヴェロニカ・コジュハーロヴァ氏、ギターのセルゲイ・ルドネフ氏の4人は世界に有名で、共演を望むプロ奏者は大勢いる。
今回の観客席には長年コジュハーロヴァ氏と共演するオルガンの井上紘子さんも座っていた。「大小の星たち」を初めて聴いた井上さんは全員が心から音楽を楽しみ、かつこの形式が成立していることに驚き、「大きな星が友情で結ばれていないとできない」と断言した。
井上さん:「楽譜のアレンジは全てイラリオノフ氏が一人でやっているそうです。つまりどこで子どもを全面に引き出し、どこでサポートするかが彼にはわかっている。こうしたアンサンブルの楽譜はなく、編曲者としてそれを誰が作るのかが一番重要で大変な仕事になる。サクソフォンにも楽譜はなく、『ここでラを出して、ここでレ弾いて』と言われただけだと。『大きな星』に誰を集めるかが決め手。友情がなければ絶対にできない」
音楽の「友情」論にイラリオノフ氏も深くうなづく。
「プロの中でも『大きな星』に呼べるのは忍耐強く、様々な年齢の子どもと上手にコンタクトできる人だけ。どんな子どもにも才能は眠っている。『大きな星』はそれが見えて、開花を助けてあげられる人でないといけない」
イラリオノフ氏は大小の星を異なる楽器どうしで組む。「大きな星」は最初、自分と異なる楽器にどう教えるのかとうろたえたそうだが、イラリオノフ氏は「大きな星」は弾き方を教える先生ではなく「音楽の霊感を吹き込んでやり」、自分の力を信じるように導く「師」だと説いたという。そしてもう一つ大事なのが、舞台演奏という「芸術」を伝授すること。ミスしたらどうしようという恐怖心は創造を邪魔してしまう。邪念から解放し、舞台は楽しい祝祭だということを知ってもらう。原則を手渡された「大きな星」たちは自分たちで考えて進み始めた。
しかし中には演奏がおぼつかない子も来る。ある時、仏の古い歌を余りに音程を外して弾くヴァイオリンの女児が現れ、一同は頭を抱えてしまった。ところがイラリオノフ氏は「この外れた調子がフランス風で良いじゃないか」とポジティブに受け止めた。勇気を得た彼女は練習で音に注意深く聴くことを学んだ。本場、うまく音が出せない場面は大きな星たちが前面に出て飾り、調子外れなところも「フランス的な独特の魅力」になった。みんなが満足し、女の子は音楽の陶酔感を知った。
子どもたちに渡したいもの
プロジェクトはプロの音楽家の育成を目指していない。サクソフォンのコジュハーロヴァ氏も幼少時、演奏が心底好きなのに音楽学校に理解されず、退学を勧められた経験を持つ。彼女は才能が眠る子を「緩慢に作動する時限爆弾」と評す。いつどこでどんな才能が開花するかは未知。だからこそ信じてくれる大人の存在は大きな力だ。これを見事に表したナージャさんの言葉が胸に残った。
ナージャさん:「この子たちがこの先の人生、音楽と共に生きても、音楽なしで生きてもどちらでもいい。どんな場合でも『音楽とはこんなにもすばらしく演奏することができる』という感覚をずっと覚えていてほしい。あなたたちはこんなにすごい演奏ができて、それを喜ぶ聴き手がいるんだよ。音楽はこんなふうに育てることができるんだよ。いつでも隣に一緒に演奏して、頼りにできる大人の友達がいるんだよ。これを知っていてほしい」
「昔からの親友みたい」 小さな星がもらう幸せ
「小さな星」には常連がいて、その成長を見守るのも聴衆には喜びだ。端緒を開いたヴァーシャくんも早14歳。演奏に自分の音楽観が出てきた。今回自作の曲をアンサンブルで披露したピアノのヴェロニカ・ペトロシャンさんも常連で、音楽作りでプロの大人が全く対等に接することに感動するという。「有名になるほど、うちとけて接してくれる。あまりにも親しくしてくれるので、昔からの親友のような気がする」
ここで開催地のトゥーラ州について少しご説明しておきたい。この色鮮やかな自然なしには「大小の星たち」の野外コンサートの祝祭的な雰囲気は生まれないからだ。『戦争と平和』の文豪レフ・トルストイの屋敷があり、多くの画家に描かれてきたこの土地は白夜の初夏、地上の楽園と化す。干し草を束ねた観客席の並ぶコンサート会場に、まるでピクニックに行くような恰好で集まってくる子たちは「新鮮な空気の中で演奏するなんて初めて」と喜びにはちきれそうだ。
大きな星だって小さな星に幸せをもらう
「大きな星」たちが手弁当でここまでやるのには理由がある。イラリオノフ氏は毎回、子どもに計り知れないエネルギーを注入してもらうと言う。「翼が生え、飛んでいくようだ。これこそが音楽を前進させているとおもう」コジュハーロヴァ氏も同感だ。「こどもの誠実でオープンなところが大好き。子ども時代は嘘がない。いい人間であろうと飾らず、自分は自分であろうとする。私はこれを子どもに学んだの」
音楽祭は、友情参加するピアノのアンドレイ・ゼレンスキー氏の作曲の「大小の星たち」のテーマ曲「赤い風船」をオーケストラと一緒に演奏して幕を閉じた。そして好例のサッカーに全員が興じる。大勢の幸せな子どもたち、感動と感謝を伝え合う大人たちはいつまでも去りがたい。長い夏の一日はまだまだ終わらない。