見つかった194点の中には、戦国時代から江戸時代にかけての11人の天皇による綸旨の原本15点が含まれていた。このうち1482年(文明14年)に後土御門(ごつちみかど)天皇が僧侶の願阿弥(がんあみ)に宛てた綸旨には、応仁の乱で焼失した寺の復興を支援する内容が記されている。
清水寺によれば、綸旨が宛名の書かれた包みなどとともに発見されるのは非常に珍しく、寺と当時の天皇との関係を示す貴重な発見になるとしている。
綸旨のほか、13点見つかった豊臣秀吉の書状の中には、兵庫県の有馬温泉に湯治に訪れた際に成就院から浴衣を受け取ったことへの礼状などの原本が含まれていた。
また、足利尊氏が土地を寄進する代わりに祈禱を頼んだ書状や、織田信長が1568年(永禄11年)、足利義昭を奉じて上洛した際に出した、自軍に清水寺への放火や殺生を禁じる内容の文書の原本が見つかったという。
2人の文書は一部写しがあり内容は知られていたが、原本が見つかったのはこれが初めて。
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