対象となる文書は1938年7月から8月のハサン湖事件(編注:日本では張鼓峰事件)と呼ばれるソ連軍と日本軍の国境紛争に際に出された1938年8月9日付第3軍部隊令第70号。さらに最後の関東軍総司令官、山田乙三の尋問書類で、尋問は旧日本軍の軍事裁判、通称「ハバロフスク裁判」に備えて1949年12月に行われている。
文書によると、山田総司令官は尋問において、第3軍部隊に出された指令第70号は対ソ戦の準備強化を証明するものであると認めている。専門家によると、日本軍は当時、大規模戦闘の過程でソ連軍の状態と防衛能力を判断していたとされる。2週間におよぶ戦いはソ連軍の勝利で終結した。
指令では、関東軍は対ソ戦に向け準備を強化するため、国境線東部に軍を集中させようと移動した。
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