子どもの頃から日本に興味があり、大学で日本語を専攻していたヤシェンコワさん。さらに日本語のレベルを高めるため、卒業後は京都へ留学した。そのとき留学仲間に誘われて行った居酒屋で初めて日本酒に出会った。もともとお酒は好きで、特にワインを嗜んでいたが、「日本酒の美味しさは格別で、忘れられなかった」という。
ロシアへ帰国し日露通訳として活躍していた2018年のある日、サンクトペテルブルクで行われた日露地域間交流のイベントで、酒田市から来ていた佐藤社長、日露ビジネスをサポートする会社「MTC Japan」取締役の鬼島一彦さんと出会った。そこで初めて、酒蔵をロシアに作ってはどうかというアイデアが生まれたのである。アイデアを形にしていく中で、コロナが発生。プロジェクトはいったん白紙になりかけたが、どうしてもあきらめられず、熱意をもって再開した。
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佐藤社長は前述の日露地域交流イベントの枠内で、酒田市の名産品を紹介していた。ロシア人は日本の食べ物や飲み物に対して興味があることがわかったが、日本酒に関しては欧米と比べて浸透度がまだまだ低いと感じた。やみくもに輸出するよりも、まずは日本酒の美味しさを知ってもらい、将来のビジネスにつなげようと考えた。
ロシアに酒造りの技術を伝えることに決めた理由について佐藤社長は「まだ日本酒の認知度が低いからこそ、ビジネスチャンスがあると考えており、これは非常に重要なポイントです。それには、まずは日本酒の味を知ってもらわなければなりません。酒蔵を作ってしぼりたての生酒を味わってもらうことで、より日本酒の美味しさが伝わるでしょう」と話す。
将来的には、日本人の熟練した職人が作った付加価値の高い日本酒をロシアへ輸出するなど、日本酒の種類や価格帯のバリエーションがロシアで増えていくことを期待している。
もちろん職人の技術を伝えるのは簡単ではない。まずはヤシェンコワさんを研修生として指導するほか、職人をサンクトペテルブルクへ派遣し、現地のロシア人に対して指導を行なう。
「酒造りは、もちろん技術的な面はありますが、感覚でもあります。味見をしながら、感覚で判断することはとても大事です。日本で使っている設備を全て持っていけるわけではないので、100パーセント同じ環境にはなりませんが、その中でも美味しいお酒を造るにはどうしたらいいか、どうロシアの方たちにお伝えできるのか、日本人の得意な「工夫」を重ねながらやっていけば、自ずと良いものができていくのではないかと考えています。」
できるだけ日本酒本来の味に近づけるため、酒米と酵母は日本のものを使う。佐藤社長は「米こそ日本のものですが、水もロシア、そして作り手もロシアの人ですから、ロシアの風土になじんだ日本酒ができるでしょう」と期待する。
![酒造りに適したお米の田植え作業をする佐藤社長 酒造りに適したお米の田植え作業をする佐藤社長 - Sputnik 日本](https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/07e5/08/0d/8619206_0:122:3061:2047_600x0_80_0_0_5f7a79993173a4fa32ece0edac48db4e.jpg)
![麹室における作業 麹室における作業 - Sputnik 日本](https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/07e5/08/0d/8619175_0:0:1920:1207_600x0_80_0_0_b655d9afbfa85c22bb4e01a73a751291.jpg)
![菊勇のある酒田市の冬は厳しい寒さ 菊勇のある酒田市の冬は厳しい寒さ - Sputnik 日本](https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/07e5/08/0d/8619237_0:168:1920:1374_600x0_80_0_0_fc3b1de949b59d221aa1455d3019ff24.jpg)
酒蔵となる物件の決定や、職人の選定、どこの水を使うかなど、初めてのことばかりで課題は数多い。何よりも、ロシアでは日本酒というジャンルのお酒を作って販売したことがないため、日本酒製造における国家的な衛生・安全基準がない。まずはそれを作った上で、アルコール市場を司るロシアの政府機関から、製造業者としての許可を得なければならない。
それでも、ヤシェンコワさんは前向きだ。「まずは1か月に2000本を製造できる規模の酒蔵を郊外に作りたいです。そこで、一般の人が酒造りの行程を見学できるようにし、日本酒を身近に感じてもらえればと思います。やることはたくさんありますが、必ず成功すると信じています」と話している。
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