サリバン補佐官はNBCからの取材に、「むろん、都市の陥落のスピードはアフガニスタン人やこの問題に注視してきたアナリストらの多くが考えていたよりもずっと速かった」と語った。
サリバン補佐官は米国は「アフガニスタンの安全保障部隊を最良の機器、最高の準備とポテンシャルで保障すべく20年と数百億ドルを費やした」にもかかわらず、「彼らは戦おうという気概を与えることができなかった」と語った。
「そして彼ら(アフガニスタンの軍部)は最終的にカブールを、国を死守するために戦わないと決めた。このためにタリバンは極めて迅速にカブール入りが果たせたものだ」サリバン補佐官はこう補足した。
何がアフガンで起きたのか
8月15日、タリバンの武装戦闘員らはアフガン全域を選挙し、事実上、国の中枢を手中に収めた。これは20年駐留し続けた米軍が撤退し、文字通り数週間の後に起きた。7月8日の時点では、バイデン米大統領は記者会見でタリバンはアフガンを占拠できないと語っていた。
タリバンは8月15日朝、首都カブールへの進軍を宣言し、同日夜にはこれといった抵抗に遭うこともなく首都入りし、大統領宮殿に侵入した。その数日前にタリバンはカンダハル、ヘラートといった大都市を手中に収めていた。
アシュラフ・ガニー大統領は「大虐殺を防ぐため」に国を離れると宣言し、飛行機でアフガンを脱出している。大統領はタジキスタンを目指して脱出し、そこからさらに第三国に行くものと見られている。
米国、多くの欧州諸国はカブールに駐在する外交官を国外に脱出させている。カブール空港はアフガンに残る最後の航空機に乗り込もうとする多くの市民でごった返している。
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