ペリーの黒船来航「日本開国」は何を意味したのか?

© 写真 : Public domainペリーの黒船
ペリーの黒船 - Sputnik 日本, 1920, 08.07.2022
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2022年7月8日は、米海軍東インド艦隊の提督マシュー・ペリーが江戸湾入口の浦賀沖に停泊してから169年にあたっている。浦賀は徳川幕府の奉行所が置かれていた場所であった。
この日は欧州にとっての「日本開国」の始まりの日であり、また日本史における新たな時代の幕開けと考えられている。

ペリーの成功の理由は腐敗した徳川幕府にあった

「日本開国」としての黒船来航の意味を考察するにあたっては、誇張や真実を含んだ虚構が入り混じっていることから、もっともらしいが実は正しくないイメージが作り上げられている。しかし、この出来事を別の見地から考えることを余儀なくさせる要素がある。
第一に、外国の船が寄港した際に、港を開くか閉じるかは、主権国家の不可侵の権利であった。その権利は現代の国家にも備わっているものである。攻撃すると脅して、港を「開く」ことを要求するのは、主権の侵害である。
第二に、日本は外の世界に対して、完全に鎖国していたわけではなかった。長崎港は海外との交流拠点となっていたし、またオランダ商館もあった。ペリー提督率いる艦隊の将校らは浦賀沖に到着し、そこで日本人が外界のことに精通していることを知った。奉行たちは英語、オランダ語、フランス語を話すことができた。長崎のオランダ商館が日本に欧州の新聞や雑誌、書籍などを届けていたことから、日本人は欧州で起きた主要な事件についても知っていた。
第三に、植民地化の時代において、警戒してもしすぎることはなく、日本はその厳しい政策によって、スペイン、ポルトガル、オランダ、あるいは欧州の貿易会社の植民地となることを回避することができた。
通常、ペリーの遠征は「日本開国」のためだったという考えを正当化するのに、日本は米国との間で提示された条約を結んだとされている。しかしまもなくして、日本は同様の条約をロシア、フランス、英国とも結んでいる。その後、動乱の時代が始まり、内戦が起こり、江戸幕府は滅亡し、天皇を中心とした政治が行われる時代となった。その後、日本は、明治維新によって、近代化への道を歩き出した。
しかし、この歴史の展開には別の見方がある。それは19世紀半ば、徳川幕府がすでに歴史的な使命を遂行できない危機的状況にあったというものである。ペリー提督の最後通告を受け入れた理由は、軍備力が不足していたのでもなければ、最新の大砲を装備していた蒸気船と戦うことができなかったからでもない。
クリミア戦争 (1854〜1855年) は、沿岸の砲台が、蒸気船に対抗するための重要な論拠となることを証明した。徳川家慶と側近たちは、どうすべきかを決断できなかったのである。上官が決断できなければ、最強の軍もそれを助けることはできない。幕府はすでに腐敗しており、威嚇の砲撃を行なわれただけで、提示された条件を飲むことになったのである。
つまり、ペリーの遠征は「日本の開国」ではなく、徳川幕府の滅亡の始まりとも名付けることができる。

平和使節か政治的思想家か?

ペリーの日本遠征から、徳川幕府は数年しか存在しなかったが、それでも、過去の栄光と決断力が日本を深刻な問題から救うことができた。というのも、ペリー提督は純粋な「平和使節」ではなかったのである。実際には、ペリーは2つの課題を遂行すべく諜報活動を行なっていた。
その課題とは、一つは蒸気船のための石炭を見つけること、そしてもう一つは、島を占領し、米国の植民地を作るために、現地を視察することであった。ペリー提督は日本と台湾で石炭を見つけ、1854年7月には台湾にも船を送った。ペリーは台湾も占領と植民地化を目的に視察し、自らの報告書の中で、海上貿易と米国の影響力拡大にとっての台湾の意義を強調している。
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なぜ、米国に近く、海上貿易を台湾と同等に積極的に行なっていた沖縄や九州ではなく、台湾だったのだろうか?
おそらく、米国は徳川幕府と直接対峙するのを恐れ、より容易に手に入れられる地域を探していたのだろう。そこで日本との関係において、ペリー提督に対しては、条約を締結し、米国の蒸気船が石炭を取れるよう港を開かせるという最低限の指令が出されたのである。
基本的には、これは太平洋での植民地支配を狙う超大国の戦いの歴史における一つのエピソードであるが、このエピソードは、徳川幕府の滅亡と明治維新という、より壮大で画期的な日本の国内政治の出来事との関係の中で大きな意味を持っている。
西側の世界において、この小さな出来事は別の理由によって、重要視されている。これは次の命題をもつ一種のプロパガンダだと考えることができる。
第一に、日本は外部の影響なくして発展することはできないということ。第二に、日本はいわば米国の「庇護の下」になくてはならないということである。
米国はポツダム宣言の受諾と無条件降伏の調印式で、ペリー艦隊の旗艦ポーハタン号に掲げられていた星条旗を戦艦「ミズーリ」号に掲揚し、このことを強調した。実は、この無条件降伏を受理したダグラス・マッカーサー元帥は、ペリー提督の遠縁の親戚である。
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