https://sputniknews.jp/20230126/14710453.html
【解説】露日平和条約の見通し崩れる 日本の非友好的な政策とクリル諸島をめぐる長期にわたる領土紛争
【解説】露日平和条約の見通し崩れる 日本の非友好的な政策とクリル諸島をめぐる長期にわたる領土紛争
Sputnik 日本
... 2023年1月26日, Sputnik 日本
2023-01-26T06:30+0900
2023-01-26T06:30+0900
2023-01-26T06:30+0900
露日関係
ロシア
国際
米国
政治
https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/07e6/06/16/11651440_0:0:3020:1699_1920x0_80_0_0_a944269252a6378f9ace8cc0c17f9e2b.jpg
岸田首相は23日の施政方針演説で、露日関係はウクライナ情勢によって厳しい状況にあるが、日本は引き続き領土問題を解決し、平和条約を締結する方針を堅持すると表明した。露日関係における新たな困難ロシアがウクライナで特殊軍事作戦を開始した後、日本政府は西側の対ロシア制裁に加わった。岸田首相は2022年3月のインド・カンボジア訪問でもロシアを封じ込めるために結束する必要があると政治パートナーを説得しようとし、「国際秩序の根幹を揺るがしている」としてロシアを非難した。ロシアは同年3月21日、日本の非友好的政策への対抗措置として、日本との平和条約交渉を打ち切ると発表。南クリル諸島(日本名:北方四島)への「ビザなし交流」も停止し、南クリル諸島での共同経済活動に関する日本との協議からの離脱も発表した。これは、日本の領土主張によって未だ平和条約が締結されておらず、それでなくても緊迫する露日関係をさらに悪化させた。クリル諸島を巡る領土紛争1951年、サンフランシスコで講和会議が開かれ、日本と連合国各国の間で平和条約が結ばれた。日本は、1904年から1905年の露日戦争の結果として日本が得た南クリル諸島に対する権利を放棄した。ソ連側は、同諸島に対するソ連の主権に関する修正を平和条約案に加えることを提案した。しかし提案は受け入れられず、ソ連は条約に署名しなかった。日本は現在、1855年の露日和親条約に基づき、クナシル島(国後島)、シコタン島(色丹島)、イトゥルプ島(択捉島)、ハボマイ群島(歯舞群島)を要求しているほか、これらの島はクリル諸島(日本名:千島列島)の中に含まれないと主張している。1956年、ソ連と日本は共同宣言に署名した。これにより戦争状態が終了、外交関係が回復した。またソ連は、平和条約締結後にハボマイ群島とシコタン島の2島を日本に引き渡す可能性を検討することにも同意した。2島は平和条約締結後に日本に引き渡されるはずだった。そして、ロシアはこれに終止符を打つ考えだった。しかし、日本は4島すべてに対する領有権の主張を取り下げなかった。米国の脅しロシアと日本の領土紛争には、もう1つの国が関与した。東京は、ワシントンの圧力を受けてモスクワとの平和条約への署名を拒否した。1956年にソ連と日本が共同宣言に調印した後、米国は、日本がクナシル島とイトゥルプ島に対する主張を撤回した場合には、沖縄を含む琉球諸島は日本に返還されないと脅した。琉球諸島は当時、サンフランシスコ平和条約第3条に基づき、米国の施政下に置かれていた。それ以来、ロシアと日本は領土問題を解決するために、事実上、無駄な努力を続けている。日本は所謂「北方領土」に対する主権を表明しており、1855年にロシア帝国と締結した、露日間の最初の外交条約である露日和親条約に基づいてこの問題を解決しようとしている。現代日本の政府は、4島の返還を第二次世界大戦終結の際にも調印されなかったロシアとの平和条約を締結する主な条件とした。一方、ロシアは、4島は第二次世界大戦の結果、ソ連の領土の一部となり、4島に対するロシア連邦の主権について疑いの余地はないという立場をとっている。
https://sputniknews.jp/20230123/14685249.html
https://sputniknews.jp/20230123/14684388.html
https://sputniknews.jp/20230125/14702087.html
Sputnik 日本
feedback.jp@sputniknews.com
+74956456601
MIA „Rossiya Segodnya“
2023
スプートニク 通信
https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/07e6/07/14/12088987_0:0:401:400_100x100_80_0_0_f38c1d48964e1513ad55ca260593842c.jpg
スプートニク 通信
https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/07e6/07/14/12088987_0:0:401:400_100x100_80_0_0_f38c1d48964e1513ad55ca260593842c.jpg
ニュース
jp_JP
Sputnik 日本
feedback.jp@sputniknews.com
+74956456601
MIA „Rossiya Segodnya“
https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/07e6/06/16/11651440_146:0:2877:2048_1920x0_80_0_0_8c4aa59399267f5863ec8aab1da059d0.jpgSputnik 日本
feedback.jp@sputniknews.com
+74956456601
MIA „Rossiya Segodnya“
スプートニク 通信
https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/07e6/07/14/12088987_0:0:401:400_100x100_80_0_0_f38c1d48964e1513ad55ca260593842c.jpg
露日関係, ロシア, 国際, 米国, 政治
【解説】露日平和条約の見通し崩れる 日本の非友好的な政策とクリル諸島をめぐる長期にわたる領土紛争
ロシアのぺスコフ大統領報道官は23日、ロシアと日本の平和条約締結交渉について、現時点ではおそらく不可能との見方を示した。日本の岸田首相は同日の施政方針演説で、日本は引き続き平和条約を締結する方針を堅持すると述べていた。ロシア側がおそらく不可能とする主な理由は、日本の対ロシア制裁だ。露日関係の問題に関する詳細や、領土問題を巡る日本の立場をロシアが歴史的現実と合致していないと考える理由について、スプートニク通信がお伝えする。
ぺスコフ氏は、平和条約締結交渉についてロシアは日本と作業する用意があるかと記者団から問われ「日本は、非友好国になった国々の陣営に、非常に積極的な態度で加わった。日本は自らの行動においても、二国間関係においても、構成主義を示していない。実際のところ、現時点では意味のある対話は行われていない。もちろん、このような状況では、事実上、そのような可能性について語る必要性はほとんどない」と述べた。
岸田首相は23日の施政方針演説で、露日関係はウクライナ情勢によって厳しい状況にあるが、日本は引き続き領土問題を解決し、
平和条約を締結する方針を堅持すると表明した。
ロシアがウクライナで特殊軍事作戦を開始した後、日本政府は西側の対ロシア制裁に加わった。岸田首相は2022年3月の
インド・カンボジア訪問でもロシアを封じ込めるために結束する必要があると政治パートナーを説得しようとし、「国際秩序の根幹を揺るがしている」としてロシアを非難した。
ロシアは同年3月21日、日本の非友好的政策への対抗措置として、日本との平和条約交渉を打ち切ると発表。南クリル諸島(日本名:北方四島)への「ビザなし交流」も停止し、南クリル諸島での共同経済活動に関する日本との協議からの離脱も発表した。これは、日本の領土主張によって未だ平和条約が締結されておらず、それでなくても緊迫する露日関係をさらに悪化させた。
1951年、サンフランシスコで講和会議が開かれ、日本と連合国各国の間で平和条約が結ばれた。日本は、1904年から1905年の露日戦争の結果として日本が得た南クリル諸島に対する権利を放棄した。ソ連側は、同諸島に対するソ連の主権に関する修正を平和条約案に加えることを提案した。しかし提案は受け入れられず、ソ連は条約に署名しなかった。日本は現在、1855年の露日和親条約に基づき、クナシル島(国後島)、シコタン島(色丹島)、イトゥルプ島(択捉島)、ハボマイ群島(歯舞群島)を要求しているほか、これらの島はクリル諸島(日本名:千島列島)の中に含まれないと主張している。
1956年、ソ連と日本は共同宣言に署名した。これにより戦争状態が終了、外交関係が回復した。またソ連は、平和条約締結後にハボマイ群島とシコタン島の2島を日本に引き渡す可能性を検討することにも同意した。
ソ日共同宣言(1956年)第9項では、「ソビエト社会主義共和国連邦と日本国は、ソビエト社会主義共和国連邦と日本国の間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソビエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望に応えかつ日本国の利益を考慮して、ハボマイ群島およびシコタン島を日本国へ引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、ソビエト社会主義共和国連邦と日本国の間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と述べられている。
2島は平和条約締結後に日本に引き渡されるはずだった。そして、ロシアはこれに終止符を打つ考えだった。しかし、日本は4島すべてに対する領有権の主張を取り下げなかった。
ロシアと日本の領土紛争には、もう1つの国が関与した。東京は、ワシントンの圧力を受けてモスクワとの平和条約への署名を拒否した。
1956年にソ連と日本が共同宣言に調印した後、米国は、日本がクナシル島とイトゥルプ島に対する主張を撤回した場合には、沖縄を含む琉球諸島は日本に返還されないと脅した。琉球諸島は当時、サンフランシスコ平和条約第3条に基づき、米国の施政下に置かれていた。
それ以来、ロシアと日本は領土問題を解決するために、事実上、無駄な努力を続けている。日本は所謂「北方領土」に対する主権を表明しており、1855年にロシア帝国と締結した、露日間の最初の外交条約である露日和親条約に基づいてこの問題を解決しようとしている。
現代日本の政府は、4島の返還を第二次世界大戦終結の際にも調印されなかったロシアとの平和条約を締結する主な条件とした。一方、ロシアは、4島は第二次世界大戦の結果、ソ連の領土の一部となり、4島に対するロシア連邦の主権について疑いの余地はないという立場をとっている。