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日米密約「5・15メモ」とは 伊江島、過去にも米軍トラブル
日米密約「5・15メモ」とは 伊江島、過去にも米軍トラブル
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沖縄・伊江島で降下訓練中のオスプレイから投下された物資が、演習場外の海上に落下した問題。地元伊江村は訓練中止を訴え抗議したが、中谷防衛相は日米合意「5・15メモ」で実施が認められているとして、中止要請へは及び腰だ。 2025年1月21日, Sputnik 日本
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5・15メモは沖縄が返還された1972年5月15日、日米合同委員会によって作成された合意文書。1997年までに全て公開されているが、当初は非公開の密約だった。沖縄返還後も米軍が自由に訓練地として使用するため、日米安保条約と日米地位協定を根拠に、民用地、水域、空域などの使用と範囲を定めたものだった。5・15メモには、今回問題となった伊江島補助飛行場についても記述がある。使用可能な範囲のほか、重量物投下訓練、パラシュート訓練、射撃演習の時間などが定められている。沖縄県によると、米軍提供区域は演習場フェンス外にも広がり、範囲内には住宅や道路、黙認耕作地などもある。今回は海上に落下したが、伊江島では過去にも危険な事案が相次いでいる。伊江島における米軍が関連する事件、トラブルはこれだけではない。
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日米密約「5・15メモ」とは 伊江島、過去にも米軍トラブル
2025年1月21日, 22:30 (更新: 2025年1月22日, 00:23) 沖縄・伊江島で降下訓練中のオスプレイから投下された物資が、演習場外の海上に落下した問題。地元伊江村は訓練中止を訴え抗議したが、中谷防衛相は日米合意「5・15メモ」で実施が認められているとして、中止要請へは及び腰だ。
5・15メモは沖縄が返還された1972年5月15日、日米合同委員会によって作成された合意文書。1997年までに全て公開されているが、当初は非公開の密約だった。
沖縄返還後も米軍が自由に訓練地として使用するため、日米安保条約と日米地位協定を根拠に、民用地、水域、空域などの使用と範囲を定めたものだった。
5・15メモには、今回問題となった伊江島補助飛行場についても記述がある。使用可能な範囲のほか、重量物投下訓練、パラシュート訓練、射撃演習の時間などが定められている。
沖縄県によると、米軍提供区域は演習場フェンス外にも広がり、範囲内には住宅や道路、黙認耕作地などもある。今回は海上に落下したが、伊江島では過去にも危険な事案が相次いでいる。
1972年:米兵1人が、誤って飛行場の東3キロにある伊江西小学校の屋根へパラシュートで降下。
2014年:パラシュート投下訓練で、提供区域内の工事現場にドラム缶4本を落とす。
2021年:米兵2人がパラシュート訓練中に風にあおられて基地外の海岸線、牧草地へそれぞれ落下。
伊江島における米軍が関連する事件、トラブルはこれだけではない。
1961年:射撃場内で演習中の米軍機の直撃弾を受け村民1人が死亡。
1973年:演習場内の放牧地にアメリカ軍が枯れ葉剤を散布し、約2000平方メートルを枯らす。
1974年:伊江島補助飛行場内の射撃場で、米兵が草刈中の青年を追い回し信号銃で負傷させる。日本政府は米国に裁判権を渡し、被害者への補償もなかった。
1992年:信号弾により施設内黙認耕作地で火災発生、1428平方メートルが焼失。