【視点】日韓関係 状況の如何によらない堅実な発展は可能か?

© AP Photo / Pool/Jung Yeon-jeアーカイブ写真
アーカイブ写真 - Sputnik 日本, 1920, 17.04.2025
サイン
4月10日、韓国憲法裁判所は尹錫烈(ユン・ソンニョル)大統領の弾劾訴追を支持し、尹大統領を罷免した。大統領選挙の投票日は2025年6月3日に予定されている。 6月にはまた、大統領選から退いた尹氏が重要視していた日韓国交正常化60周年の日がやってくる。
日韓基本条約は1965年6月22日に東京で署名された。国交正常化交渉は1951年から進められていたが、双方が譲歩しようとしなかったため、長い間停滞していた。双方の間で、日本による朝鮮の植民地支配をどのように位置付けるか、また、その損害に対して日本が支払うべき賠償額についてなかなか合意に達しなかったからだ。
韓国に変化が訪れたのは1960年、政府が大規模な経済開発5カ年計画を決定した時だった。計画実行には、抜本的な工業化と経済の近代化を進める必要があり、それには資金が必要だった。 韓国当局は、日本との条約が必要な資金をもたらすことを期待した。この目的の為、韓国国民の抗議にもかかわらず、国交正常化交渉を前進させることが決定された。 日本もまた、韓国との国交回復に関心を持っていた。当時、日本は経済成長真っ只中にあり、隣国の韓国は有望な輸出先となる可能性があったからだ。
2025年1月、ソウルでの首脳会談の後、日韓の外相が会談。このとき、岩屋毅外相と趙 兌烈(チョ・テヨル)外相は、どんな状況でも日韓関係を揺ぎなく発展させていくことで合意した。
韓国大統領選挙は日韓関係に何らかの影響を与えるのだろうか? ロシア科学アカデミー、中国・現代アジア研究所、朝鮮研究センターの主任研究員コンスタンチン・アスモロフ氏は次のように考察している。
「日本への接近は、権力の座を奪われた尹氏の政策の特徴だった。では他の韓国の政治家はどうかというと、彼らの多くにとって反日主義はイデオロギーとして不可欠な要素だ。保守とリベラル、どちらの政治家にとっても日本は常に、領土問題や歴史的問題を持ち上げることで、国民の関心をそらし、国内の社会的緊張を緩和するための口実だった。ただし、1965年に日韓基本条約が締結された時のように、現実的な利益が優先されることもあったが」
4月10日、最大野党「共に民主党」の前代表、李在明(イ・ジェミョン)氏が大統領選挙への立候補を表明した。李氏は、国民に向けたビデオメッセージの中で、経済成長、格差の克服、研究開発への投資拡大を強調した。また、米国との軍事同盟や日米との3か国協力についても言及した。
保守陣営からは、金文洙(キム・ムンス)元雇用労働部長官が大統領選の候補者になる予定だ。しかし各種世論調査によると、金氏への支持率は9%から13%、回答者の34%から38%が李氏に投票する意向を示している。
李在明氏は韓国の政治情勢においては、非常に物議を醸す人物だとアスモロフ氏は話を続ける。

‍「かつて彼は、民主党の中で最も左派的なポピュリストとして自らを位置づけていた。だが、政権に近づくとすぐに、民主党は左派ではなく中道右派だと宣言し、トランプ氏をノーベル平和賞に推薦し始め、2022年の選挙前に自分が主張していた『無条件ベーシックインカム』のような左派的な経済政スローガンを掲げるのをやめた。

李氏は、汚職疑惑の刑事裁判を5件抱えていて、自身は不正行為を否定しており、これを政治的迫害と呼んでいる。2022年の大統領選挙では、李氏は尹氏に1%未満の差で負けた。これを民主党の多くが『不幸な誤解』だとして、就任初日から尹氏に『宣戦布告』している。 2024年1月、李氏暗殺未遂事件が発生したが、犯人の動機は明らかにされなていない。李氏は 自らを『国民の保護者 』と印象付けさせてきたが、彼は状況によって政治信条を変える、選挙公約を果たすのか、対日接近路線を継続するのか、疑問は残る......」

尹政権下で、日韓関係には雪解けが始まった。従来の貿易に加え、情報共有や安全保障分野での協力も始まった。それでも、日本の植民地支配時代の韓国で何が起こったかについては、両国の政府の見解は未だに異なる。歴史問題を解決しない限り、両国はパートナーや同盟国にはなれても、良き隣人になることは難しいだろう。
ニュース一覧
0
コメント投稿には、
ログインまたは新規登録が必要です
loader
チャットで返信
Заголовок открываемого материала