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敬愛なるトーマス・バッハ会長
私の最初の五輪は2002年で、今回の平昌は、いくつかの理由から私のキャリアにおいて特別になるはずでした。ですが私は五輪スタートの2週間前に、五輪が私を参加に値するスポーツマンとは見なしておらず、その上で理由を説明していないことを知りました。
ショートトラックのキャリアを通じて私は、獲得したタイトルの潔白さを疑う口実を1度も与えたことがありません。私は常にスポーツ全体、ライバル、五輪に対して敬意を持って接しており、常に反ドーピング法を遵守していましたし、五輪の選考条件を満たすことで「潔白な」スポーツマンは参加の権利に値すると真に考えていました。ですがIOC委員会は別様に決断し、その決定の理由を私に説明していません。
委員会がこの決定を取る際に則る基準を調べました。どの基準に則っても五輪除外のリストに私が自らの過失により入ることはありえないと、責任を持って宣言いたします。
私の五輪除外の具体的な理由が今に至るまで挙げられておらず、この状況の中、ドーピングを用いたスポーツマンとして私について話が出たことに憤りを感じます。スポーツにこれほどの時間を捧げた後のこの除外の判決はIOCから私への不信の象徴、そしてスポーツコミュニティからの不信の原因となりました。
私が自身の名誉や自尊心を守れるよう、IOCが除外の理由を発表することを真に願っています。私はそうする完全な権利を有しており、同様に、心から信じていることですが、五輪参加の可能性をはく奪されていながら私の罪の証拠が完全に欠如している中、そしてショートトラックに捧げたこれほどの時間の後、ファンやライバル、ジャーナリストからの信頼に期待する権利を有しております。
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