スプートニク日本
マクシム・スライキン氏はモスクワでエンジニアと教師の家庭に生まれた。スライキン氏が述べるところ、家族は全員、左派的見解の信奉者だった。スライキン氏は若い頃、共産主義的イデオロギーに熱中して1991年のソ連崩壊を個人的な悲劇のように感じた。
モスクワ輸送大学の卒業とともにコンピューター部品の修理会社を立ち上げる。その後、「1920年〜1930年にかけてのロシア・ディアスポラの若者運動と団体」の博士論文審査にパスしてモスクワ国立大学の博士候補課程を修了する。
18歳の時にスライキン氏はロシア共産党に入党し、24歳で 共産青年同盟中央委員会の書記長になる。しかし2004年、ロシア共産党指導部の仕事の手法に失望し、党を抜ける。
2010年、スライキン氏は非政府組織「ロシアの共産主義者」のトップになる。同団体は2012年、政党となった。指導部に同意しないロシア共産党のメンバーも一部、同政党に加盟している。「ロシアの共産主義者」はロシア共産党の対蹠的な政党だ。
スライキン氏は党のマニフェストに従い、大統領に選出された場合は広範な国営化、特に危険な犯罪に対する死刑の復活、保険改革の中止、年金受給年齢の引き上げの禁止を行うことを提案する。時折、スライキン氏は挑発的な発言で有権者の気を引いている。北朝鮮の命運を懸念したスライキン氏は、ロシアが帝国主義との戦いにおいて北朝鮮をサポートし、「同志」を助けるため核弾頭を積んだ潜水艦を派遣する必要があると述べた。
スライキン氏の個人生活はほとんど何も明らかではない。
- 残り7人の候補の経歴はここからご覧いただけます。