スプートニク日本
台風の威力は特に昼間が強く、台風が大阪に近づいていたこの時間、台風の中心気圧は945ヘクトパスカル、最大風速は秒速45メートルにも達した。
現在のところ、この台風により11名が亡くなり、610人が重傷を負っている。
町では、台風への備えが行なわれていた
大型台風の到来は数日前から分かっていた。スプートニク記者が居住している地域では建築現場の作業員達が、足場の周囲の防護テントを固定しているロープを数回にわたって入念に確認していた。
食品店は、台風上陸の前日の夜と当日の朝、いつもよりも騒がしかった。阿波座駅近くのスーパーの店員は「いつもに比べて多くの方が、出来合いのおかずやインスタントの麺類を買っていかれました。でも地震のときほどではありません」と話した。
浸水した空港、回転する観覧車
正午も近くなりすさまじい風が吹き始めた頃、台風の威力を実感することになった。昨日、あれだけしっかりと固定されていた建設現場のテントはある瞬間にずたずたに引き裂かれてしまった。町のあちこちに、根っこから折れた木が横たわり、割れたガラスや駐車場のファサード、商業施設の広告看板などが道に散らばっていた。
関西国際空港では滑走路や駐車場などが浸水。2つあるターミナルの建物には約3千人が避難した。
関西空港の連絡橋に、強風にあおられたタンカーが衝突したことは、さらに困難な状況を生み出した。このため人々は空港外への避難ができない状況に陥った。この件についてスプートニクは、空港当局からのコメントを得ることはできなかった。
それと同じくらいショックを与えたのは、枚方市にある「ひらかたパーク」の大観覧車の映像だ。観覧車は強い風を受けて、勝手にぐるぐると回っていた。
地上の鉄道網はストップしたが、地下鉄は遅延しながらも動いていた。携帯の電波が入らなかったり、電気やガスが止まった地域もある。
パニックは全く起こらず
夜が近づき、台風が日本海側に抜けると、警察や消防といった人々以外に、一般の人も外に出始め、町はいつもと同じ様相を呈し始めた。
あるパチンコ店の管理人はスプートニク記者に対し、台風が直撃している時間帯でさえも来た客がいると話した。「昼間はいつもよりかなり人が少なかったですが、それでも空っぽということはありませんでした。今は、この通りです」そう言って彼が手で示した先には、入り口の側に数列のパチンコ台があり、10~15人がプレイしていた。
5日の朝、会社員たちはすでに自分のオフィスに向かっていた。正午にかけて、関西空港で孤立していた人々は本土に避難することができた。
電気も少しずつ普及し、信号機が一台、また一台と動き始めた。水道やガスも復旧し、自治体は台風による損失を計算し始めた。
この25年間で最も猛威をふるった台風は去った。SNS上には、台風21号がもたらした様々な被害を伝えるショッキングな画像や映像が残っている。台風が去っても記録は残り、きっと実際の被害よりも、尾ひれをつけた形で人々の記憶に残ることだろう。