露日戦争時代の貴重な写真資料 ペテルブルグで展覧会が開幕

10月3日、サンクトペテルブルクのロシア政治史博物館で稀有な試みである『竹と白樺 1904年―1905年の露日戦争の捕虜たち』展が開幕する。これは今年、2018年が初めてのロシア、日本交流年であることと、露日戦争の日本人捕虜の遺骨の帰還110周年にあたることを記念して組織された。展覧会に紹介された150枚もの資料写真は、そのどれもがこの時代の日本兵、ロシア兵の生活習慣を生き生きと物語っている。
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露日戦争で捕虜となったロシア兵、将校の数はおよそ7万人にのぼる。また日本の調査では、2千人から3千人の日本兵が捕虜になった。ポーツマス条約の締結後、両国の捕虜らは祖国へ帰されている。

ロシア人捕虜、日本

この展覧会を日本側から組織したのは東京ロシア語学院 の 藻利佳彦学長。藻利さんはこの時期の露日関係について写真などの資料を数年にわたって収集し続けており、日本人捕虜の大半が収容されたノヴゴロド州メドヴェージ村にも何度も足を運んできた。藻利さんの尽力と地元政府の支援のおかげで埋葬された捕虜の墓石が地中から掘り起こされ、記念碑も再建された。日本人捕虜の墓石を探す作業は第2次世界大戦中、メドヴェージ村が墓地もろとも完全に破壊されていたことも手伝って、難航を極めた。

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ロシア人将校、保養所の温泉で入浴後、 1904年-1905年、 日本、松山市
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ロシア人捕虜、休憩時間、1904年-1905年、日本、福岡県
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日本人捕虜、ロシア、メドヴェージ村
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日本人捕虜、ロシア、メドヴェージ村
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日本人捕虜、ロシア、メドヴェージ村
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東京ロシア語学院の藻利学院長、ロシア、メドヴェージ村を訪問
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ロシア、メドヴェージ村で見つかった墓石
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記念碑、ロシア、メドヴェージ村

10月4日、展覧会の開幕が宣言された後、露日戦争で亡くなった両国の兵士を鎮魂するコンサートが日本人の尺八演奏家キノハチ・ヤスオ氏が出演して催される。

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