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チェルノブイリ原発事故から間もない5月初旬、現場で作業していた専門家が、爆発した4号炉の反応部分が溶け続けていたことを発見した。炉心には185トンの核燃料が含まれ、核反応は継続していた。この致命的な質量の下には、冷却材として機能していた500万ガロンの水を貯めたタンクがあった。溶融する原子炉の炉心と水を唯一隔てていたのは、厚いコンクリート壁だった。核燃料が水に接触すれば、放射能汚染水による大規模な水蒸気爆発が起きていただろう。これと比べれば、実際に起きた爆発は、些末な出来事になっていただろう。
早急に水を抜く必要があった。だがそのためには、タンクの隣の部屋にある遮断弁を開かなくてはならなかった。問題解決のため、発電所を知り尽くしている3人の職員が呼ばれた。シフト長のボリス・バラノフ氏、タービン・原子炉部門のシニアエンジニア、ワレリー・ベスパロフ氏、そしてアレクセイ・アナネンコ氏だ。ゆっくりと溶けゆく4号炉の下にあるタンクほど最悪の場所はその瞬間、地球に存在しなかっただろう。
翌日、防護服に身を包んだ3人がタンクへと降り立った。現場は暗く、彼らは防水ライトの光で場所を把握した。ゲートバルブがついに見つかり、開放された瞬間、水は流れ出て、プールは勢い良く空になり始めた。溶融する放射性物質がタンクに到達した時点までには、水は無くなっていた。2度めの爆発は回避できた。
3人の男性が上方に戻ると、原発職員らは英雄として出迎えた。だが彼らの名前や作戦自体は、長年にわたり機密情報だった。彼らはすでに存命ではないと報道されたのも驚きではない。実際、ボリス・バラノフ氏は2005年、心不全で亡くなった。ワレリー・ベスパロフ氏は2008年まで原発で勤務し、その後、年金生活に入った。アレクセイ・アナネンコ氏は今、公共団体「ウクライナ核フォーラム」の指導部で活躍している。
ちょうど1年前、アレクセイ・アナネンコ氏、ワレリー・ベスパロフ氏、故ボリス・バラノフ氏に、勇敢勲章が叙勲された。