ロシア製武器の伝説=3つの大きな戦争を通したモシン・ナガン小銃の歴史【写真・動画】

モシン・ナガンは、70年以上にわたってロシアの兵士たちに忠実ならびに誠実に仕え、真の伝説となった。そのシンプルで信頼性の高い設計により、モシン・ナガンの製造数はロシア帝国およびソ連で自動小銃AK-47に次いで2番目を誇る。
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通信社スプートニクが、20世紀のロシアの最も重要な3つの戦争を通したモシン・ナガンの歴史を読者の皆様にご紹介する。

ロシア革命前における道の始まり

モシン・ナガンの誕生は、ロシアの有名なトゥーラ造兵廠の最も才能ある銃器設計者の一人、セルゲイ・モシン大尉と関係している。

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モシン・ナガンは1890年に装備として採用された。特別委員会のコンテストに合格、ロシア軍の老朽化した装備にとって「気分を一新してくれるもの」となった。全世界が化学者ドミトリ・メンデレーエフが発明した無煙火薬を使用した小口径の武器に移行した。


  • 興味深い事実

委員会はコンテストの勝者2人のうち1人のモデルを選ぶことができなかった。セルゲイ・モシン大尉のモシン小銃と、ベルギーのもう1人の設計者レオン・ナガンの弾倉5発のモデル(知識が豊富な読者の方は、レオン・ナガンの回転式けん銃「ナガンM1895」をご存知だろう)のうちから一つを選ぶことができなかった。

そこで委員会は、双方が納得のいく決定を承認した。ロシア軍にはモシン小銃が採用されたが、それはレオン・ナガンの5発の弾倉を搭載した改良版「モシン・ナガン」となった。


初の大規模な実戦経験=露日戦争

モシン・ナガンは、長さの異なる3つのバージョンが採用された。

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  • 歩兵用 (1700 mm)
  • 竜騎兵用(騎兵用)(1500mm)
  • コサック用 (銃剣なし)

1914年8月1日、ロシア帝国が第一次世界大戦に参戦=5つの事実
口径 - 7.62mm

発射速度 - 毎分10発。

短剣も装備された。

当初の射程距離は1000~1500mだったが、露日戦争時には2000m以上の距離でも成果を示した。

日露戦争開戦までに、約380万挺が軍に納入された。

第一次世界大戦による変更

第一次世界大戦の勃発に伴い、節約のため、主に竜騎兵バージョンが製造された。

1910年には、先の尖った弾丸を入れる新しい弾薬筒、その 破甲および焼夷バージョンの使用を考慮して大幅に改善された。


  • 興味深い事実

複数のモシン・ナガンが米国で製造されたが、普及しなかった。


大祖国戦争の前

ソ連でも最も頻繁に製造されたのは竜騎兵バージョンだった。銃剣攻撃は少なくなり、歩兵バージョンはあまりにも不便だった。

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よりコンパクトなモデルを製造する必要があり、1994年に折りたたみ式銃剣を装備したカービンとなった。

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1931年にはモシン・ナガン「狙撃銃」が登場、光学照準器が取り付けられたものはソ連の伝説的スナイパー、ヴァシリ・ザイツェフのお気に入りの武器となった。

1941年5月から1944年末までにモシン・ナガンを基盤とした小銃やカービンは計1100万挺以上製造された(最大1300万挺という情報もある)。

モシン・ナガンの製造数の合計は3700万挺。


  • 興味深い事実

ロシア連邦では、モシン・ナガンを廃止する正式な指令がなかったため、今でも軍の装備に正式に含まれている。


モシン・ナガンは、技術的なシンプルさと信頼性という成功の秘密を学び取った。この秘密が、大量生産され、ロシアの兵士たちに真に愛される所以となった。

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