「神様が日本へ導いてくれた」函館で愛されたロシア人神父、ニコライ・ドミートリエフさん永眠

6月13日、函館を代表する名所「函館ハリストス正教会」の長司祭、ニコライ・ドミートリエフ神父が永眠した。59歳だった。来日して27年、日本人よりも日本人らしい穏やかな心と温かい人柄で、正教会という宗教の枠を超え、多くの函館市民から愛されたニコライ神父。スプートニクは、ニコライ神父の半生を、神父の妻・山崎ひとみさんとの対話を通してふり返る。
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神学校で運命の出会い

上智大学の学生だった山崎さんは、あるとき知人の誘いで、都内にあるポドヴォリエ(ロシア正教会の駐日代表部)を見学に訪れた。

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山崎さんはそこで初めて、キリスト教とはどのようなものかを肌で感じることができた。山崎さんはそのときの内的な体験について、「聖書の言葉、神様とはどういうものか、信仰をもつとはどういうふうにあるべきか…。そういった色々なことが腑に落ちて、非常に魅力を感じました」と話す。

これをきっかけに正教会の洗礼を受けた山崎さん。しばらくすると、ソ連の神学校へ留学をすすめられた。当時、神学校は基本的に男子学生しか入れなかったが、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)神学校に女子学生も入れる聖歌隊指揮科が開設されたのだ。すでにロシア語が堪能だった山崎さんは単身ソ連に渡り、神学校で勉強を始めた。そこで神学生だったニコライ神父と出会ったのである。二人は、やはり聖職者であるニコライ神父の父の立会いのもと、モスクワの聖堂で結婚式を挙げた。

悩みぬいた末、日本に移住を決意

ニコライ神父の地元・モスクワで幸せな新婚生活が始まるかと思いきや、当時のソ連はペレストロイカの真っ最中。ゴルバチョフとエリツィンの政争が繰り広げられ、市民生活は悪化の一途を辿っていた。山崎さんは、あるとき卵を買おうとしたら、もらった整理券の番号が600番代だったのをよく覚えているという。食料品が満足に買えないのは日常茶飯事で、どこかで何かが入荷すると聞けば、長蛇の行列に並ぶしかなかった。

「神様が日本へ導いてくれた」函館で愛されたロシア人神父、ニコライ・ドミートリエフさん永眠

そんな生活の無理がたたり、山崎さんは栄養失調のため体調を崩してしまった。日本と常につながっている日系企業の駐在員や外交官でさえ不自由な生活を強いられたが、山崎さんのようにひとりの外国人として当時のモスクワで生活するのは、それの何倍も苦しかった。

山崎さん「あのときは私も、モスクワに骨を埋める覚悟をしました。当時は治安も悪く、モスクワ市内に戦車も出たほどでした。モスクワで生まれ育った神父にしてみれば、そんな状況下での日本移住は重大な決心で、考えに考えた末の結論だったと思います。この国にいるせいで、妻にこんなに苦労させてしまっては…と、考えてくれたのでしょう。」

その頃の山崎さんは、帰国するまで果たして体力がもつか、というレベルまで体調が悪化していたが、ニコライ神父の日本への移籍願が許可され、なんとか二人で日本へたどり着くことができた。

山崎さん「ロシアが今のような安定した状態になってからも、神父はよく話しました。きっと神様はああいう状況を作って、私たちを日本に移住させようとしたんだろうと。私も、彼がするべき仕事は、まさに日本にあったのではないかと思います。私よりも日本人の感覚をもっていて、日本人の心の機微をよくつかめる人だったのです。」

「神様が日本へ導いてくれた」函館で愛されたロシア人神父、ニコライ・ドミートリエフさん永眠

妻の故郷、長野・松本で触れた日本の風習

妻の実家である長野県松本市に身を寄せた二人。そこでニコライ神父は妻の両親とともに、典型的な日本の生活を体験した。お盆の迎え火・送り火など、最初から東京で奉職していたら、見ることのなかっただろう伝統行事の数々。山崎さんは「神父は、松本という地方都市で暮らした時期は、日本人と日本文化を理解するために非常に良い経験だった、とよく言っていました」と話す。

二人は生活費を稼ぐため、ロシア語教室を始めた。ちょうど長野五輪の直前だったこともあり、ロシア語人気は高く、長野県じゅうから多くの生徒が集まった。教会には日曜日しか行けないほど忙しい日々を過ごしたが、その合間をぬってニコライ神父は著書「ロシア人・日本人―きっとわかりあえる!」を2001年に出版した。

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松本での生活を終えたニコライ神父は、東京復活大聖堂(ニコライ堂)と神戸ハリストス正教会を経て、2008年に函館ハリストス正教会に移った。当時の最重要課題は、3年後の2011年に控えた「聖ニコライ渡来150周年記念」に関連する様々な準備だった。聖ニコライは日本への正教会伝道に生涯を捧げた人物。1861年に24歳で来日し、函館を拠点に半世紀以上も活動した。

函館ハリストス教会は、函館市と協力して教会の150周年記念誌を作成したり、聖歌のCDを出したほか、講演会や聖歌コンサートなどを行なった。通常、日本の正教会は外へ出ていって活動をアピールすることは少ないが、特に正教会を大事にしている函館という土地では、宗教の枠を超えて社会的なつながりが増えた。ロシア正教会のキリル総主教や、セルゲイ・ラブロフ外相といったロシアの要人のほか、学者、市の関係者、記者、観光客、子どもたちまで、常に来客が絶えなかった。ニコライ神父は多忙の合間をぬって公開講座の講師を務めたり、地元ラジオにも出演した。山崎さんは「函館で、広い世界と接点をもつことができたのは、神父にとって嬉しかったことでしょう」と話す。

日本人より伝わる日本語

ニコライ神父は、語学学校に通うなどして日本語を勉強したことは一度もない。にもかかわらず、日常会話はもちろん、正教会の祈祷書に出てくる難解な日本語さえマスターしていた。祈祷書は漢語調の文語体で書かれており、現代の日本人が一見して理解するのは難しい。こんなにも難しいのは、聖ニコライが、祈祷書にふさわしい文体として文語体を選んだからである。聖ニコライは漢学者パウェル中井木菟麿(つぐまろ)の助けを借り、祈祷書や聖書を翻訳した。

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かつて日本語での伝道にこだわった聖ニコライと同じく、ニコライ神父は教会で日本語を使うことにこだわった。祈りの結びに使われる「アミン」(※「然り」の意)という言葉にしても、「信徒が何に対して『アミン』と言うのかわからなければ意味がない。日本語で唱えて、日本語で理解したものに対してアミンと言うべきだ」というのがニコライ神父の口癖だった。

とはいえ、祈祷書には独特の言い回しや、現代生活ではなじみのない漢字が目白押しだ。ニコライ神父は地道な手段でこれらを覚えてきた。

山崎さん「パソコンで漢字を大きなフォントで打って印刷し、読み仮名をふって、部屋中に貼っていました。そうやって一生懸命覚えたものを、お祈りの中で使っていました。その当時の日本語の資料が箱の中にいっぱいあって…、これは絶対に捨てられません。彼が日本語で奉神礼をしてきた20年近くを思うと、博物館を作ってあげたいような気持ちになります。」

一方、日常会話では、日本人との会話の中で覚えた、独特の表現を使っていた。電話で日本人からの人生相談を受けていたこともある。文法を意識していないにも関わらず「言いたい意味がちゃんと伝わるのは不思議」と信徒らは口を揃える。山崎さんも、「コミュニケーションって、人間の心そのものが出るんでしょうね。彼と話していると、言葉というのは、言葉の問題でありながら、言葉の問題ではないんだな、といつも感じていました」と話す。

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ハリストス教会墓地に埋葬、ロシアの良心

ニコライ神父は6月9日、北斗市の上磯ハリストス正教会での聖務中に突然倒れ、市立函館病院に搬送された。懸命の救命活動が行なわれたが、昏睡状態から戻ることなく、13日に息をひきとった。死因は、冠れん縮性狭心症だった。

ニコライ神父は、キリスト教の死生観に基づき、本人の希望通りハリストス正教会墓地に土葬で葬られた。日本では保健所の許可がなければ土葬できないが、許可はスムーズに出た。山崎さんは「土葬してあげられたことは本当に良かった。函館市に本当に感謝しています」と話す。現在は木の十字架が建っているが、一年後を目処に石の墓が建立される。

「神様が日本へ導いてくれた」函館で愛されたロシア人神父、ニコライ・ドミートリエフさん永眠

山崎さんはこれからも、ニコライ神父が眠る函館を離れるつもりはない。

山崎さん「ニコライ神父は生前から『もし君が一人で残ったら、函館にいるのがいい』と言っていました。私にとって神父は一番身近な教導者です。これまで、彼の祝福に従って人生を歩んできたので、彼の言うとおりにするのが一番良いだろうと思います。お墓もありますし、私は函館に残り、一信徒として教会に通いたいと思います。」

ニコライ神父永眠の知らせは、北海道の様々なメディアで取り上げられた。北海道新聞は6月18日の朝刊で「『ロシアの良心』悼む声」と題した追悼記事を掲載した。山崎さんはその見出しを見てハッとした。それは自分もずっと前から感じてきたことだったからだ。長野滞在時代にニコライ神父が出版した著書は、山崎さんが翻訳したものだった。山崎さんはあとがきに、「彼はロシアの良心そのものだ」と書いていた。

山崎さん「その言葉が今になって記事の見出しになったことに驚き、とても嬉しかったです。北海道で、彼と交流のあった人たちが、私と同じようなことを感じ取ってくれたんだな、と…。彼は本当に、聖なるロシアの良心を象徴するような人でした。」

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