武道フェス「ロシアの翼」で、日露戦争時に島根県民が敵国兵を救助した史実を紹介:子孫も発見

9日、モスクワ郊外の町バラシハで、ロシア航空宇宙軍創設記念日にあわせた日本武道フェスティバル「ロシアの翼」が開催され、地元の武道家たちが日頃の鍛錬の成果を披露した。日本から剣道指導に来た剣道家らも参加し、迫力あるパフォーマンスを見せた。日露合同コンサートでは、日露戦争の最中だった1905年5月28日、島根県江津市の和木真島沖で遭難したロシアのバルティック艦隊「イルティッシュ号」の乗組員265人を、地元住民が救助したエピソードが歌と寸劇で紹介され、観客は日露の知られざる歴史に触れた。
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会場には、ロシアにおける剣道普及に20年以上取り組んでいる武徳和心会の吉山満会長の姿があった。吉山さんは、島根県に移住して地元紙で記事を目にしたことから、イルティッシュ号の救出劇について知った。戦時中に敵国兵を命がけで救ったというエピソードは、これまでも地元で語り継がれてきたが、その史実を知る人は日本人でもごく限られた数にすぎなかった。ましてロシアでは全く知られていなかった。

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明治時代の日本人による外国船員救助といえば、1890年9月に遭難したオスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号の乗組員を、和歌山県串本町の住民が助けたエピソードが有名だ。この話はトルコで語りつがれ、日本とトルコによる合作映画「海難1890」まで撮影された。しかしイルティッシュ号のロシア人乗組員は、トルコ人とは違って、戦時中の敵だ。情報統制下にあったとはいえ、和木の住民はもちろん、日本がロシアと戦争していることは知っていた。しかし、目の前で溺れそうになっている人を見捨てられず、助けるという決断をした。

2018年1月にイルティッシュ号の史実が初めて絵本になってから、吉山さんは絵本を日本とロシアの友好に役立てようと働きかけてきた。また、「祖国に戻ったイルティッシュ号の乗組員の子孫と一緒に、日本で剣道をやってみたい」との思いから、乗組員子孫の捜索を関係者に依頼した。乗組員たちはいったん捕虜になったが、その後、本国に戻り、それぞれの生活に戻ることができたのである。

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在ロシア日本国大使館の広報文化部長・山本敏生公使や、モスクワ・ジャパンクラブの岡田邦生事務局長らの協力を得て、子孫が見つかった。イルティッシュ号の乗組員、ウラジーミル・ロジャンコ中尉(検察官)の子孫にあたる人物が、在ロシア米国商工会議所会頭のアレクシス・ロジャンコ氏だと判明したのである。ロジャンコ氏は民族的にはロシア人だが、ニューヨークで生まれたため、米国籍をもっている。現在、ロジャンコ氏はモスクワで働いている。

「ロシアの翼」では、フェスティバルのハイライトとして、日本側の作詞作曲による「イルティッシュ号の歌」が披露されたほか、ロシアからの「返歌」として作られた歌「ブージム・ポームニチ」(いつまでも記憶に)が披露された。この歌は、イルティッシュ号の史実について知ったロシア功労芸術家のウラジーミル・ミハイロフ氏が作曲し、ミハイロフ氏の友人で詩人のウラジーミル・パスィンコフ氏が作詞したものだ。

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この2曲の組み合わせは、今年に入ってから4月と6月にも別のコンサートで披露されており、会場の共感を得て、いずれも拍手が鳴り止まなかった。「ロシアの翼」でも、日本とロシアの歴史に感銘を受けた人々から盛大な拍手が送られた。

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