114年の時を経て、人類愛と日露友好の奇跡が生んだ歴史的対面「人を助け、助けられることは素晴らしい」

25日、在ロシア日本大使館とロシア歴史協会の共催で、ラウンドテーブル「日露関係の歴史における輝かしいページ」がモスクワで開催された。このイベントの特別ゲストとなったのは、島根県江津市和木町に住む小川斉子さんと、在ロシア米国商工会議所会頭のアレクシス・ロジャンコさんだ。今から114年前、日露戦争の最中だった1905年5月28日、ロシアのバルティック艦隊「イルティッシュ号」が江津市の和木真島沖で遭難し、地元住民が命がけで265人の乗組員を救助した。このとき救助活動にあたった人物の子孫が小川さん、救助されて生き残ったロシア人船員の子孫がロジャンコさんなのだ。二人は、歴史的な対面が果たせたことを喜び合った。
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日本艦隊から砲弾を受けたイルティッシュ号は沈没寸前で、白旗を掲げて救助を求めていた。乗組員らは攻撃の意思がないことを示すため武器を海中に投げ捨て、6隻のボートに分乗し、海岸を目指して漕ぎ出した。しかし強風で海に投げ出されそうになり、上陸できそうもない。見かねた村人たちは海中に飛び込みボートを引っ張ったり、ロシア兵を背負ったりして、救助活動を行った。ロシア兵の中には大けがをしている人もいた。

戦時中に敵国兵を命がけで救った人類愛は、これまでも紙芝居や小説、劇などを通して地元で語り継がれており、昨年には日露英の3か国語で読める絵本が作られた。

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小川家は800年前から和木の地に住み、村を所有していた。ロシア兵が上陸した海岸や真島は、現在も小川家の私有地である。小川家は、当時ロシア兵から贈られたコートと塩を大切に保管してきた。コートは将校のものと思しき上等なもので、しっかりした生地で作られ、長い歳月が経った今でも袖を通せるほど保存状態がよい。塩は、まるで砂糖のように四角く固めてある。小川さんは、これらの品を特別にモスクワに持ってきて、会場で披露した。

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イルティッシュ号乗組員の子孫探しは、島根に住む剣道教士でロシアナショナルチームの監督も務めた吉山満さんが、「祖国に戻った乗組員の子孫と一緒に、日本で剣道をやってみたい」との思いを抱き、関係者に捜索を依頼したことからスタートした。乗組員たちはいったん捕虜になったが、その後、本国に戻り、それぞれの生活に戻っている。

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しばらくして、モスクワ・ジャパンクラブの岡田邦生事務局長、在ロシア日本国大使館の広報文化部長・山本敏生公使らの尽力で、子孫が見つかった。アレクシス・ロジャンコさんは、イルティッシュ号の乗組員、ウラジーミル・ロジャンコ中尉の子孫にあたる。ロジャンコさんは民族的にはロシア人だが、ロシア革命で祖父母が米国に移民しニューヨークで生まれたため、現在は米国籍をもちながら、モスクワで働いている。

114年の時を経て、人類愛と日露友好の奇跡が生んだ歴史的対面「人を助け、助けられることは素晴らしい」

ラウンドテーブルの合間にはミニコンサートが行なわれ、小川さんの母親・敬子さんが作詞し、小川さん自らが作曲した「イルティッシュ号の歌」と、ロシアからの感謝をこめ「返歌」として作られた歌「いつまでも記憶に」が披露された。この歌は、イルティッシュ号の史実について知ったロシア功労芸術家のウラジーミル・ミハイロフ氏が作曲し、ミハイロフ氏の友人で詩人のウラジーミル・パスィンコフ氏が作詞したものだ。

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思いがけない子孫同士の対面は、小川さんにもロジャンコさんにも、深い感動を与えた。

敵国兵を救った人類愛、絵本に:日露友好のシンボル、イルティッシュ号【写真】
小川さん「私が今、海に飛び込んで人を助けなさい、と言われてもとてもできないことなので…、昔の人が行なったことは、すごいことだなとあらためて思いました。そしてロシアの方たちが、100年以上も経ってから、こんなにも感謝してくれ、返歌まで作ってくれるなんて、皆さんの気持ちに敬意を表したいです。かえって私の方が、感動させられています。人を助け、助けられるということは、とても素晴らしいことです。」

ロジャンコさん「とても興味深い出会いでした。小川さんは、和木の人々が、いかに死と隣合わせで海に出ていたのか説明してくれました。あの日何があったのか詳しく知ることができ、和木という土地の全体像がよりクリアになりました。なぜ危険を冒して乗組員を助けてくれたのか。それは、命を大切にし、海と生きる和木の人々の行動規範、相互扶助の精神のおかげだったのだとわかりました。」

ラウンドテーブルには、ロシアを代表する高名な日本研究者が多数参加した。「ゴローニン事件」で有名な、ディアナ号艦長・ワシリー・ゴローニンの子孫、ピョートル・ゴローニン氏は、イルティッシュ号の他の乗組員について、消息を調べている。もしかすると、ロジャンコさん以外の子孫も、近いうちに見つかるかもしれない。

小川さんは「今の船は格段に安全になっているので、海難自体が身近ではなくなっています。だからこそ、戦争中でありながら敵国人を救助した先人たちの精神を忘れないように、何かあったときに同じ行動がとれるように、和木の住民として語り継いでいきたい」と話している。

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