匂坂氏によれば、この写真は広島と長崎の市長、また上智大学講師らからローマ教皇に何度か送られている。彼らの1人は、「福島第一原子力発電所1号機」の事故の後、福島県の故郷に戻り、現在、立ち入り禁止区域で暮らしながら病気の妻の介護を行っている。ローマ教皇は2017年にこの写真をすべてのカトリック教会に広めるよう指示が出された。
原爆投下後まもなく長崎で撮影された写真「焼き場に立つ少年」には、軍隊式に直立し火葬の順番を待つ7、8歳の少年が映っている。少年は背中に亡くなった乳飲み子をおぶっている。この赤ん坊は原爆の犠牲となった彼の兄弟だった。ジョー・オダネル氏が撮影をした。
匂坂氏は、最終的にローマ教皇の日本訪問は、彼が自分のところへ福島第一原子力発電所1号機の事故後に避難生活を送り、学校でいじめにあった未成年者を招待した今年の春に知られることになったと説明した。この少年は教皇に死んでしまいたいという手紙を書いた。この手紙を受け取ったフランシスコ・ローマ教皇はバチカンに彼を招待し、その際に教皇自身がまもなく日本を訪問するということを明らかにした。
教皇の訪問に合わせて上智大学でジョー・オダネル氏の作品展を行うことが決定された。 ローマ教皇は文字通り空港へ向かう直前のわずかな時間であったがこの展示会を訪れることができた。
匂坂氏は「長崎の火葬場に立っていた少年、あの少年と同じ場所に行かなければという思い。そして、同じ原子力による被害を受けたもう1人の少年に会うこと。この2人の少年に会わなければというのが教皇の強い願いだったといえる」と語った。
ローマ教皇の日本訪問は38年ぶりだった。到着の翌日、教皇は長崎と広島を訪れ、核兵器は不道徳であると訴え、核兵器のない世界を呼びかけた。また教皇は東京ドームで多くの人々を前にミサを行い、徳仁天皇陛下と会見も行った。