2006年五輪金メダリストでショーではザギトワの師匠役のタチアナ・ナフカ氏はこう語っていた。「ザギトワはなんでも見事に決めることができるんです。イメージ作りも技術も。私は3晩、アリーナは2晩、ずっとリンクの上にいて、もう寝る暇も食べる暇もありません。大丈夫か心配で練習しています。なんとか思ったとおりにうまくいって欲しい。」
ところが…、実際はそう何もかも「思ったとおりに」うまくは運ばなかった。
何もないところで転倒
ザギトワは初演で何もない場所での転倒もあった。ただしショーはオフィシャルな試合に比べ、技術はそれほど重要ではない。ずっと滑っていれば、欠点は取り除くことができる。ザギトワ自身が言っている。自分にとってはショーでは技術よりも主人公のイメージを表現する方が大事だと。
鮮やかなショーだったにもかかわらず、ザギトワのファンの中には不満が残ったという声もあった。ショーにはあのアドレナリンが、フィギュアスケートの大会がここまで人気を博すようになった、熱いパッションが足りなかったというのだ。
ショーを鑑賞した印象を記事にしたスポーツコメンテーターのアレクセイ・アダモフ氏はこうもらしている。
「アイスショーは一種のカルチャーアクティビティで、存在していいものであり、また存在しなくてはいけないものだ。観る側はメルヘンの世界を満喫することができ、昨日までスターだったスケーターたちは選手生活を終えた後も軽く10年は高収入を得ることができる。ただ、観ている間中、ザギトワはここでは余計な存在だという印象がぬぐえなかった。いや、正確を期せば他の全員が余計だった。アリーナのスケーティングはあまりに速く、スポットライトがそれに追いつけないことさえあった。」
観客の中からはザギトワが日本で出演したアイスショーと今回の『眠りの森の美女』を比較して、今回の方が難易度は高いと評する声もあげられている。
一方でザギトワのファンの大半は喜んだ。この先もリンクで彼女の姿を見つめ続けることができるからだ。しかもこんな美しい、夢見るような舞台装飾の中で。
ただし当の本人のザギトワがこの「おとぎ話」を捨て、スポーツの大会という厳しい現実に戻りたいと願うかどうかは、全くわからない。