フィギュア特集

日本のノンフィクションライター、ロシアのスケート選手の会見の態度を非難:なぜ彼女は正しいのか?

日本のノンフィクションライターである田村明子氏は、昨年12月のコラムの中で、グランプリシリーズを制したロシアの若手女子フィギュアスケーターたちを、記者らとまともに会話ができないとして非難した。そのことで、すでにフィギュア・ファンからの非難を受けている。しかし彼女が本当のことを書いたからと言って、田村明子氏を非難する必要があるだろうか?
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田村氏は自身のコラムを、「飛びぬけた身体的才能でいきなりジュニアからシニアの表彰台を制したティーンエイジャーの女子たち。彼女たちがこれから、シニアの女王に相応しい品格を身に着けていってくれることを願いたい」と締めくくっている。

なぜ田村明子氏は正しいのか?

オーストリアのグラーツで、今週開幕したヨーロッパフィギュアスケート選手権。この大会では、3人の若きロシアの女子選手たちが再び実力を見せつけるはずだ。しかし大会開幕直前になって、ロシアでは、インターネット上で、この3人の選手のファン達が、田村氏の書いたものを引用したり、コラムについて議論したりするようになった。田村氏はコラムの中でグランプリシリーズ決勝の表彰台を独占した、アリョーナ・コストルナヤ、アンナ・シェルバコワ、アレクサンドラ・トゥルソワについて書いている。

ロシアのフィギュア・ファン達は、田村氏が、3人が、試合で上位を占めたにも関わらず、公の場で、ふさわしい振る舞いをしなかったと非難したことに対して、大いに憤慨した。田村氏は特に、コストルナヤについて次のように書いている。

「コストルナヤは膝の上に携帯電話をおいているのか、ずっと視線を下に向けたまま。質問した記者の顔をみようともせずに、コメントも木で鼻をくくったようなそっけなさである。氷の上の演技の優雅さと、この会見での態度のあまりのギャップにたじろがされた。フランス杯ではこのような態度ではなかったが、その後何かあったのだろうか」

日本のノンフィクションライター、ロシアのスケート選手の会見の態度を非難:なぜ彼女は正しいのか?

「スプートニク」の記者も、田村氏が非難した、この記者会見に出席していた。それであるから、ロシアの3選手が会見で取っていた態度は、コラムに書かれている通りだったと言うことができる。田村氏は「正直に言えば、会見の壇上に並んでいる3人を見て、本当にこれがシニア女子のメダリスト3人なのかと、覚めた感情が湧いてくるのを抑えるのは難しかった」と書いている。

シニアスケーターとしての芸術性をもちながら氷の上で信じられないほど難しいエレメントを易々とやってのける3人が、リンクの外の普通の生活では、自信なさげで気続きやすく、はにかんだり、コンプレックスを持っていたりする。このギャップは、記者だけでなく、一般の観客の目をも大きく引きつける。

以前、フィギュアスケートが今ほど人気がなかった頃は、スケーターが氷の外でどう振舞っているかは、取り立てて話題になることもなかった。今では、スケーター自身の発言だけではなく、どこかにやった視線だとか、インスタグラムのどの投稿に「いいね」を押したかとか、そういったあらゆる振る舞いが、いちいち注目の対象になってしまい、メディアもファンも、それを顕微鏡で見るように観察しているのである。スケーターたちが背負っている責任は今や試合内容だけではない。試合の後での全ての行動に、責任があるのである。

技術だけでは、十分ではない

田村氏は「女子に新世代が登場し、かつてなかったレベルに到達したことはスポーツとして大切な歴史であり、本当は喜ぶべきことなのだろう」とコラムに書いた。

しかし我々が思うには、あの3人の振る舞いに、驚くべきようなことは何もない。私たち人間はみんな、程度の差こそあれ、「感情の燃え尽き」を経験しているはずだ。粘り強く目標に向かって進み、ついにそれを達成したとき、常に勝利に大喜びしたり、有頂天になったりするわけではない。時おり、そういった喜びのかわりに、感情が空っぽになったり、ただただ疲れを感じるということもある。スプートニクは、すでにこのテーマを、フィギュアのコーチたちと議論し、スポーツマンにとって、どれほど心理学者と話してメンタルサポートを受けることが大事か、についてお伝えしてきた。こういった心理面でのサポートは、試合に向けてのものだけでなく、試合の後にマスコミやファンから向けられる注目という「重荷」に耐える助けともなる。

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しかし今、これだけでは十分ではない。フィギュアがこんなにも急激に人気になり、スケーターたちは、「ショービジネスの法則」にのっとって生活しないといけないようになった。フィギュア関係者はこのことに対してほぼ誰も準備が出来ていなかった。これは、彼らの仕事は、スポーツと言う側面だけで成り立っているのではないことを意味する。つまりは、エチケットのルール、感情をうまく抑える術や、きちんとした言葉でしゃべる、などといったことである。

田村氏は、平昌五輪で金メダルと銀メダルに輝いたアリーナ・ザギトワとエフゲニア・メドベージェワは、記者会見で、チャンピオンらしく振舞ったと指摘している。しかしこの2人のように、より経験のある選手でも、自分のストレスに上手く対処できない時がある。メドベージェワは、モスクワで行なわれたグランプリシリーズの演技の後、日本のジャーナリストから4回転に関して質問され、感情的に対応した。ザギトワは、グランプリシリーズのフランス杯でコストルナヤに勝利を譲ったとき、自身の悔しさを隠そうともしなかった。

日本のノンフィクションライター、ロシアのスケート選手の会見の態度を非難:なぜ彼女は正しいのか?

もちろん心理的な重圧に、より上手く対処している選手はいる。紀平梨花や、ロシア勢であればシェルバコワだ。彼女達は、記者に対してもファンに対しても、自分達の地位にふさわしい振る舞いをしている。それはもちろん個人の性格や家庭環境など、様々な要素に起因するものだ。しかし、多くのフィギュア選手が、自身の人気という問題に直面し、公的な立場の人間でも耐えるのが難しいような、世間からの注目や批判に耐えているという、共通の傾向を否定してはならない。

田村氏「才能には責任もついて回るということ」

それであるが故に、田村氏のコラムは非常にアクチュアルなものであり、大きな反応を呼んだのだろう。彼女のコラムは、若きスポーツマンにとって「スポーツ外」での仕事も大事であるということについて、考えさせられるものとなっている。

もちろん、ジャーナリストが、スポーツ心理学の専門家であるというわけではない。しかし田村氏は実に的確に「才能には責任もついて回るということを、彼女たちは誰からも教わってこなかったのではないだろうか」と指摘している。

まあ、このことが正当化の材料になるかどうかはわからないが、名誉や大騒動というものが選手やコーチを追い詰めている、そしてそれは「急に」起きたのだということを繰り返しておく。フィギュア選手が、正しい結論を出し、素晴らしいスケーティングを学ぶだけではなく、適切な振る舞いまで見につけられるようになるかどうかは、今後明らかになるだろう。


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