現役時代は怪我に悩まされ続けてきた。2012年には右膝前十字靱帯断裂のため5場所連続休場を余儀なくされたが、手術やリハビリを乗り越え、再起後には自己最高位の東前頭5枚目まで上りつめた。この間、多くの人々のサポートを受けてきたニコライさんは、引退後も日本に残り、スポーツトレーナーとして今度は自分が人々のサポートをすることを決めた。
漢字の勉強と就職活動
18歳でロシア沿海地方のレソザヴォツクから来日したニコライさんは、日本語を流暢に話すことができるが、就職するためには読み書き、特に漢字を使いこなす必要があると考え、引退の1か月前から日本語学校に通い始めた。約一年後、就職活動を開始。千葉県をはじめとする全国のスポーツジムの情報を色々と調べ、フレックス津田沼の面接にのぞんだ。
山口さんは、ニコライさんの採用を決めた理由について「誠実で、真面目な人だという印象を受けました。異国からはるばる来て、日本でセカンドキャリアを築きたい、そして相撲に恩返ししたいという彼の気持ちを、同じ男として、応援したいと思いました」と話している。
第二の夢の実現と努力の日々
めでたく採用となったニコライさんだが、即戦力になれたわけではなかった。トレーナーは、運動指導をするだけでなく、ホスピタリティを発揮して自分からコミュニケーションをとったり、レジでの精算や書類作成など事務的な仕事もしなければならない。力士時代とは求められるものが違い、戸惑うこともあった。
しかしニコライさんは、持ち前の真面目な性格で、新しい仕事に全力でぶつかった。ジムで働いて仕事を覚えつつ、空いた時間にはロシア語の書籍も活用しながらトレーナーとしての知識や技能の習得に励み、その合間を縫って日本語学校での勉強を続けた。趣味は読書と料理という、非常にストイックな生活を送っている。
その様子を長い目で見守ってきた山口さんは「この一年で、彼のトレーナーとしての技量も上がり、頑張ってきたことが結果に出始めました。彼が16年間の相撲人生で培ってきた礼儀、謙虚さ、感謝や努力の気持ち、チャレンジ精神といったものが、仕事の中でも自然と現れています」と、ニコライさんの真摯な姿勢を評価している。
力士の稽古のハードさを体感
新型コロナウイルス拡大の影響で、直接の運動指導が難しくなった時、オンライン相撲道場をやろうというアイデアが生まれた。主に30代から60代の男女が、力士の稽古の要素を取り入れたエクササイズを受けている。1回ごとに申し込んで受講するシステムで、リピーターも増えている。もともと阿夢露のファンだった人や、相撲に興味のある人、運動不足の人など、参加動機は様々だ。
神秘的な相撲という日本文化への関心は高く、フランスからも参加希望の問い合わせがあった。そしてニコライさんの故郷・ロシアは、日本ではあまり知られていないが、実はアマチュア相撲が非常に盛んで、世界大会ではメダルの常連国である。これらの需要をふまえ、今後のオンライン道場は英語、ロシア語でも実施していく予定だ。
8月のオンライン相撲道場は22日と30日に予定されており、秋以降も順次開催していく。「日露友好の役に立ちたい」と話すニコライさんは、相撲という文化を通して、身体を動かして鍛える楽しさを日本、そしてロシアを含む世界へと伝えていく。