西洋と東洋をつなぐロシアの若手陶芸家、自分の中の日本を語る

ロシア北西部の町・ヴォログダ。モスクワから北に500キロ離れたこの町は、バターやチーズなど、美味しい乳製品でよく知られている。この町で生まれ育ち、活動する33歳の陶芸家イワン・べリャエフさんは、陶芸を始めてわずか5年だが、彼の作品は日本をはじめイギリスやフランスで高い評価を受けている。ヴォログダ市の伝統民族文化スクールの講師として陶芸を指導し、スクール内には自身の工房を構えている。
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中国茶を通じた陶芸との出会い

幼い頃から漠然と、芸術家になりたかったというベリャエフさん。建築学科に進みたいと思ったこともあれば、ミュージシャンを志して音楽カレッジに通ったこともあった。しかし長い間、これという自己表現の手段が見つけられなかった。

ベリャエフさんはある時、ヴォログダで有名な土産物店に併設するカフェで働くことにした。中国茶、特にプーアル茶が好きだったため、中国茶のセレモニーやプレゼンテーションをするティーマスターとして採用された。ロシアでは紅茶と同じくらい緑茶も人気があり、ロシアの若者の間で、ティーマスターは流行りの職業なのだ。

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セレモニーをするにあたり、カフェのオーナーが茶器を一揃い用意してくれた。そこで初めて、陶器というものの美しさに気づいた。ベリャエフさんは、ティーセレモニーの国内選手権に出場しようと思い、世界に一つしかない器を探して、地元の著名な陶芸家ウラジーミル・ホルシャギン氏の工房を訪れた。そこで陶芸の魅力に取り憑かれたのである。

結局、選手権には出場しなかったが、ホルシャギン氏の工房のことが忘れられず、仕事をやめて、入門することにした。すでに結婚していて小さい子どももおり、収入が断たれることになるが、迷いはなかった。ベリャエフさんは、その時の心境を「家族を食べさせられるだけのお金は2か月分くらいしかなかったけれど、それでも全く恐怖心はありませんでした」と振り返る。それは、心の声に正直に従った選択だったからかもしれない。

ベリャエフさんの新しい人生は、すこぶる順調にスタートした。初めて粘土とろくろに触れてから1か月半後、フェスティバル「職人の声」に作品を出品したところ、完売したのである。「あのカフェは人生の転換点になりました。しかも、本当に交差点にあるんですよ。僕の二つの人生が交差する場所だと思っています。陶芸を始めてから本当に色々なことがあったので、今となってはもう、前の人生がどんなだったか、よく思い出せないくらいです。」

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いつもそばにあった「日本」

べリャエフさんの作品の多くは、花瓶と、向こう側が見通せるオブジェクトだ。花瓶は一見すると、わびしく、物悲しい。生花ではなく、枯れた花がよく似合う。日本人の美意識や精神性に通じるものがありそうだが、ベリャエフさん自身は、「渋さ、わびしさに美しさを見出す感覚は、国境のないもの」だとみなしている。べリャエフさんの手法は、技術的にはとてもシンプルだ。彼が重視するのは、土や素材に対する向き合い方である。

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ベリャエフさん「日本の縄文時代の土偶に興味があります。当時の人々がどんな想いで土偶を作ったのか、謎に満ちていますが、今となってはもう、本当の意味を知ることはできません。しかし彼らの、土・素材に対する考えというのは、自分と通ずるものがあるのではないかと思っています。」

ベリャエフさんにとって、ある種の日本文化は、自然とそばにあるものだった。子どもの頃から空手や合気道を習い、家では葛飾北斎の画集を眺めるのが日課になっていた。戦後日本の前衛芸術にも大いに魅力を感じている。ロシアでも人気の高い作家・村上春樹の大ファンで、最近の作品で好きなのは「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」だという。

ベリャエフさん「日本人と話していて、ハグしてもらい、君の心は日本人だよ、と言われたこともあります。もし日本に行けたら、陶芸家の方々と交流を持って、彼らの人生観や物事に対する見方などを知りたいです。」


世界進出と故郷への愛

ベリャエフさんは、インスタグラムやFacebookに自分の作品を投稿し、販売を始めた。すると東京のギャラリー「Pragmata」(プラグマタ)のオーナーの目にとまり、作品が売れた。このギャラリーは、古いものから最近の作品まで、オーナーが選び抜いた「うつわ」を扱うことで知られており、陶芸家の間では知られた存在である。「最初の作品を買ってもらった時、嬉しくて信じられませんでした」というベリャエフさん。オーナーの審美眼にかない、ついには昨年、プラグマタでベリャエフさんの個展が開催された。

ベリャエフさん「日本で、僕の作品を『日本っぽくない』と評価してもらえることは嬉しいです。僕がやっていることは日本文化の模倣ではありません。やはり僕は、西洋と東洋をつなぐ、ロシアの陶芸家なのです。」

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ヴォログダは決して大都会ではないが、最近のベリャエフさんは、都市の喧騒に飽き飽きしており、近い将来、自分がもっと創作に専念できる場所へ工房を構えたいと考えている。それは、ヴォログダ州のリピン・ボールだ。「白い湖」と呼ばれる湖がある、自然豊かな田舎である。少年時代、毎年夏休みはここで過ごしていた。わびしい色合いと穏やかで瞑想的な景色は、ベリャエフさんの創作意欲をかき立てる。

「リピン・ボールは、僕にとって、人生が一つになる場所なんです。その場所で息子と一緒にいると、時代がひとまわりしたのだな、と感慨深いです」と話すベリャエフさん。自身の原点とも言うべきロシアの大地で、これからも創作を続けていく。

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